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テキ屋少女のデビュー戦

 厳しい特訓のかいもあり、ようやく母から「合格」がもらえて、私はテキ屋としてデビューすることになりました。

 場所は忘れてしまいましたが、記憶に残っている雰囲気から推測するに、比較的規模の小さな、どこかの不動尊のお祭りだったと思います。大規模なお祭りだったらきっとパニックになっていたでしょうから、そこをデビューの場所に選んでくれたのは、母なりの気遣いだったのかもしれません。

 朝、早起きをして機材を搬入します。屋台は母が組み立ててくれました。屋台の設営は慣れてしまえば楽ですが、子どもには難しいですからね。小学生の間は母がやってくれました。

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 屋台が組み立てられ、目の前にある水あめの塊を見た瞬間、とてつもない不安に襲われました。母から手ほどきをうけたとはいえ、そこは小学5年生の女の子。緊張で全身が震えました。境内が未知の世界に思えました。ただただ「お客さん、こないで!」と願うばかりでした。

「おう! 杏子ちゃん! 今日が初陣だな!」

 私が震えていると、背後から声をかけられました。親方さんです。事態を聞きつけて、助っ人にきてくださったのです。「杏子ちゃんの父ちゃんには苦労かけさせちまったからよう」と言いながら、開店準備を手伝ってくれました。

 親方が援軍にきてくれたのは、単純に不安だったから、というのもあったと思います。

 私が屋台を出している“庭”は、親方が懇意にしている庭主が仕切っている場所です。そこで下手なことはさせられません。ただ、援軍にきてくれた理由は、どうもそれだけではなかったようです。

 あとから知った話ですが、父は一本立ちをした後も、売上の一部を親方に納めていたのだそうです。親方の元を離れているのですから、本来はそうした義理はありません。親方もそのたびに「そんなものはいらねえよ」と断っていたそうですが、父は世話になったから受け取ってくださいと置いていったのだとか。親方はそんな父の気持ちに応えて、私たちの面倒を見てくれたんですね。

 ちなみにそのお金ですが、親方は父に何かあったときのためにと、使わずに貯金してくださっていました。そうして父が服役すると、「高里が勝手にやっていた積立金みてえなもんだから」と戻してくださったのです。やはりテキ屋の世界は義理人情の世界なのだなと今さらながら思うところです。

 そんな親方さんですが、助っ人といっても全面的に手伝ってくれるわけではありません。

「まずは氷の上に常に10種類くらい、スイネキを置いてみな」とか「どれも均等になるようにスイネキを取るんだよ」とアドバイスをしてくれました。

©AFLO

 しかし、アドバイスはくれるものの、ほとんど手伝ってくれません。ここですべて手伝ってしまうと後々、私のためにならないと考えてくれていたのでしょう。

 そうこうしているうちに、縁日が始まりました。お客さんが次々と境内にやってきます。

 親方は大きな声を出して、お客さんを呼び込んでくれます。

 いかにも小学生といった感じの女の子が一生懸命に売っていたからでしょうか。

 年配のお客さんが「お家のお手伝い? 偉いね~」と言いながら、たくさん買ってくれました。父の知り合いのテキ屋さんも、様子を見がてら買いにきてくれます。その後もお客さんは途切れることなく、周りのサポートのおかげで、なんとか初陣を乗り切ることができました。

 帰りの車の中で、私は疲れから熟睡してしまいました。

 立ちっぱなしでクタクタでしたが、体の奥底には不思議な充実感がありました。

 やはり、自分が作ったものがたくさん売れるというのは嬉しいものです。

 半人前にもならないほど未熟な私でしたが、それでも商売というものの本質に触れることができて楽しかったのでしょう。