たこ焼き、焼きそば、わたあめ、金魚すくい……賑やかな屋台が並ぶ風景は、日本のお祭りの風物詩だ。運営している業者は「テキ屋」と呼ばれ、行政による締め付けが厳しくなった今、徐々にその数を減らしている。

家族でテキ屋をやっていました』(彩図社)の著者である高里杏子さんは、わたあめとあんず飴の屋台を営む両親の元に生まれ育ち、小学校高学年から屋台の仕事を手伝っていたという。ここでは同書より抜粋して、高里さんが実際にその目で見た、テキ屋の儲けや組織事情などの「実態」を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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テキ屋の屋台はいくらする?

 テキ屋というと、まず頭に浮かぶのが祭りや縁日で軒を並べる屋台だと思います。

 色鮮やかなテント、がっちりとした支柱、各々が扱うネタに合わせて使いやすくなるようにカスタマイズされています。屋台はテキ屋にとっての城とでも言うべき存在ですね。

 さて、その屋台ですが、いったいいくらぐらいするのでしょうか。

 実は、残念ながら私はその正確な金額を知りません。

 小学5年生から手伝い始め、約40年近くテキ屋をしてきた私ですが、その間に屋台を購入したことがないため、正確な金額が分からないんです。ウチの場合は、父が一本になったときに作った屋台を我が家が商売から撤退するまでの半世紀、ずっと使っていました。

 生前、父に聞いた話では、当時、栃木県の小山市に腕利きの屋台職人さんがいて、多くのテキ屋はそこに発注していたといいます。母いわく「当時の値段で一式十数万円……20万円はいかなかったと思う」だったそうです。

 テキ屋の屋台は、見かけ以上に非常に頑丈にできています。

 ここで屋台の構造を説明しましょう。

 屋台は組み立て式になっていて、土台を構成する板があって、それを囲うように柱を組み立てていきます。屋台骨という言葉がありますが、この柱がまさにそう。数本の柱で屋台を支える、屋台の要になってきます。ここに天幕と呼ばれるシートを張って屋根を作り、商品名が書かれた暖簾を付けて完成です。

 私が商売を手伝い始めた小学生の頃は母が組み立ててくれましたが、中学生の半ばになると自分の屋台は私一人で組み立てるようになりました。強風の場合は体力的にしんどいものがありましたが、それでも周囲のテキ屋仲間が互いに手伝い、協力して組み立てたものです。慣れると30分弱で完成させることができました。

 ただし、これは自分の屋台に限ってです。年月が経つにつれて柱は鉄パイプを使っている箇所もあるので歪んだりします。そういった箇所をはめ込むにはクセというか、ちょっとしたコツがあるので、他人の屋台となると勝手が違ってきます。そのため、あくまでも自分の屋台は自分で建てる……ということが基本であります。

 我が家の屋台は、柱がとくに頑丈にこさえてあったので、多少の歪みが生じはしたものの、少しの補修だけで問題なく使えました。ですから、半世紀近くの間、買い替える必要がなかったのです。逆に土台を支える板はいわゆるベニヤのようなものでしたから、何年か使っていると腐食も出てくるため、何度も買い替えました。

 ベニヤはホームセンターで調達できるので、大した金額ではありません。しかも自分で交換できますから(と、いっても私は弟に頼んでいましたが……)、約半世紀に渡るランニングコストは思った以上に少ないかもしれません。この維持費の少なさというのも、屋台の利点のひとつだといえます。