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テキ屋なんか、もう辞める!

 自分が作ったものでお客さんに喜んでもらう。

 商売の楽しさを知った私でしたが、一転、地獄に突き落とされるような出来事がありました。

 商売を始めてすぐにゴールデンウイークがやってきました。

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 自宅から近くのエリアの催し物で商売をしたときのことです。

 近所ということもあって、クラスメイトの女の子に見つかってしまいました。

「なんで杏子が売っているの?」

 そう囃し立てられて、私は急に恥ずかしくなってしまいました。

 その場はそれくらいで収まったのですが、連休明けに登校すると、一部のクラスメイトの様子がおかしいのです。話しかけると無視はしないまでも、どこかよそよそしいというか……。

 すると、ヤスコという仲の良い子に教室の片隅に連れていかれました。彼女は今でも親友で、彼女もテキ屋の娘で、親は金魚すくいを生業にしていました。

「ねえ、アイツが言ってたんだけど杏子のお父さんって刑務所にいるの? 新聞に載ってたって言ってるよ。それで杏子のこと、“アバシリ”って呼んでるんだけど……」

 後に聞いた話をまとめると、まずその女の子が親に「杏子ちゃんがあんず飴を売っていた」と伝えたそうです。すると、その親は「杏子ちゃんのお父さんは逮捕されたから、手伝ってるの」といった感じで言ったとか。自分が親になった今となっては「もう少し言い方があるでしょうが!」と思いますが……。結果として、その女の子がそれを仲の良かった女子たちに吹聴して父のことが知れ渡りました。

 それにしても……“アバシリ”なんて呼ばれていたとは!

 刑務所イコール網走なんでしょうね。なんとも子どもらしい発想ですが、直接的な分、ダメージは大きかったです。

 当時はまだ、私は父の状況をまったく知らされていませんでした。心のどこかでは「父が良くないことに巻き込まれたらしい」ということを悟っていましたが、母には気づかれないように隠していた時期です。

 そんな時の“アバシリ”ですから、父が刑務所に入っていることが確定したようなものです。そして、私の中で急に恥ずかしさや怒りがこみ上げてきました。怒りの矛先は母に対してです。事実を黙っていたことが許せなくなったのです。

 私は家に帰るなり、母を問い詰めました。

 興奮していたのですべてを覚えていませんが、かなりキツイ言葉を使ったでしょう。

 母は最初ははぐらかしていましたが、最後は観念して「実は……」とすべてを打ち明けてくれました。分かっていたことですが、何と言っていいのか分からず、私は黙って母を見つめるだけです。傍らで祖母も複雑な表情を浮かべていました。

 一番、母がつらいことは分かっていました。私のことを考えて、黙っていてくれていたことも分かりました。でも、いろいろな感情がごちゃまぜになってしまって、「もう手伝わない!」と宣言したことははっきり覚えています。

「父ちゃんが戻ってくるまではお願い!」

 すると母が涙を流しながら、頭を下げてくるではありませんか。あの、いつも明るく何事にもドンと構えていた母が、です。

 それから数日間、母とは会話はありませんでした。悪いことをしたとは思っていて、どうやって謝ったらよいのか分からずに、何も言葉が出てこなかったのです。

 私の場合、幸いにも周囲に恵まれていました。

 父の一件の後も学校で明るく振る舞っていたこともあって、仲の良かったクラスメイトは何も言わず、それまでと同じ関係でいてくれました。後に中学校も同じところに通うことになり、五十路を過ぎた今でも定期的に集まっているほど仲良しです。

 そんな仲間に、父の事件を改めて知って初めて相談しました。私はこのまま商売を手伝うべきなのか、悩んでいることを数人の友人に打ち明けたのです。

「手伝いなんてやめちゃえばいいじゃん!」という子もいれば、「お母さんを助けてあげなよ」という子もいました。皆の気持ちはいろいろありましたけど、私のことを思ってくれる気持ちは一つなんだと思うと嬉しかったです。

 ちなみに陰で私のことをアバシリ呼ばわりしていた同級生たちは、腫れ物に触るような感じで私を避けるようになりました。

 本当は何か言いたかったらしいけれど、「杏子のお父さんが出所したら何をされるか分からないから……」と勝手に怖がっていたのだとか。もう勝手にしてくれって感じですね。

家族でテキ屋をやっていました

高里杏子

彩図社

2023年1月20日 発売