絶対に母親のようにならないと決めていたのに…
「かわいそうな子どもだったのですね。そんな母親を前にして、当時は自分のことをどう思っていましたか?」
日奈子「私が悪い子だから、お母さんにこんなことをさせてしまうって、そう思ってました」
「本当は母親自身の抱える問題だということが、わかりますか?」
日奈子「今は……、はい」
「それで亜香里さんにはどんな子育てを心がけてきたのでしょう?」
日奈子「絶対に母親のようにならないぞって決めて、わがまま言っても叱らないようにしてきました」
「自分の母親を反面教師にできたんですね」
日奈子「歯を食いしばって頑張ってきました」
「それが、娘さんの担任からの連絡を見て、一瞬で崩れてしまった」
日奈子「そう。何かプッツンとキレたような感じで」
「その後、娘さんの様子、特に虚ろな目や静かな姿はどうなったでしょう?」
日奈子「最初の日は宿題をやろうとしました。やらなくていいよと言ったんですが。でもその次の日からはやらなくなって、少しやんちゃが戻ってきたような気がします」
学校が児童虐待を発見できない背景
母親の言う「虐待」という表面に現れた問題は解消し、このあとしばらくは本質への対処、つまり母親の過去のトラウマを緩和する試みが、カウンセリングの中で試みられることになります。
学校は多くの子どもたちがその生きざまを見せる場です。児童虐待に対しても、発見と対応の最前線の1つとして期待されるところです。
ところが、冒頭に紹介した統計中、児童相談所への経路を見ると、圧倒的に多いのが警察等からの49.7%で、学校(幼稚園と教育委員会を含む)は7.2%に過ぎません。親族や近隣住民が積極的に警察へ通報している状況がうかがえます。
学校が児童虐待を発見できない背景に、心理的虐待が増えていること、その痕跡は子どもの行動特徴として現れ、打撲痕のように目に映るものではないため、他の理由によって生じる子どもの特徴との違いが判別できない困難さがあります。保護者との関係悪化を懸念し、家庭の問題に深入りしないという教育現場の姿勢も関与しているでしょう。
学校の先生は子どもの学校での姿しか見ません。家というブラックボックスの中に入ることのできる心理的支援者と学校が連携することは、児童虐待の問題に学校が資する上でもとても大切なのだと考えます。
付記 本稿で取り上げる事例は、可能な限りご本人の了承を得て、かつ必要に応じて個人が特定されないよう小修正を加えて執筆するものです。