豊島園の「史上最低の遊園地」や日清カップヌードル「Are you hungry?」、ペプシコーラ「Pepsiman」、「スターウォーズボトルキャップ」、新潮文庫「Yonda?」、ラフォーレ原宿、資生堂TSUBAKI、ソフトバンクなどの広告をおぼえている人は多いだろう。それまでの広告の常識を次々とくつがえし、消費者に強烈なイメージを焼きつかせる、数々の広告を作り上げたのが大貫卓也さん。このたび『Advertising is Takuya Onuki Advertising Works 1980-2010』(大貫卓也・著 グラフィック社 10000円+税)にその集大成をまとめたのを機に、その表現の秘密を、後輩でもある博報堂クリエイティブ・ディレクターの川下和彦さんに探ってもらおうという連載。第2回は、広告を作るために必要な才能とは?

大貫卓也
1958年生まれ。多摩美術大学卒業後、博報堂入社。としまえんの仕事で東京ADC賞を受賞以降、次々と話題作を送り出す。1993年博報堂を退社し大貫デザイン設立。ペプシコーラ、新潮社、資生堂、ソフトバンクなどの広告施策に携わる。

川下和彦
1974年生まれ。 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了後、博報堂入社。マーケティング部門、PR部門を経て、クリエイティブ・ディレクターとしてジャンルを超えた企画と実施を担当。2017年4月より、新規事業開発に携わるグループ会社のQUANTUMに兼務出向中。

ペプシマンデビュー/ペプシコーラ〈1996-1997〉

チラシだって、パッケージだって、全てがブランド広告なんです。

川下 その後、博報堂を辞めて独立したのはなぜですか?

大貫 博報堂時代は、仕事をしながら「どうしてこんな売れそうもない商品を無理矢理広告で売るような、尻ぬぐいをさせられるのかな。商品企画から携わらせてくれたら広告なんかいらないんだけどな」ってずっと思っていました。

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 商品の企画もパッケージもネーミングも全てがコミュニケーションであり広告なんです。商品と広告を切り分けていることがずっとおかしいと思っていました。

 そういった広告代理店のやり方に疑問を感じていたこともあり、1993年に博報堂を退社して大貫デザインを設立。いろんなしがらみから自由になることで、結果を出すためのベストなアイデアを正直に提案できるようになったし、クライアントと同じ立場で、一緒に問題解決に尽力できるようにもなりましたね。広告デザイナーという領域を越えて仕事ができるようになったのも会社をやめたからでしょうね。

 今に至るまでに多くのことを学んでこれました。広告コミュニケーションという学問がものすごく面白くてね。新しい仕事に出会うたびに、また新しい勉強ですから。学びながら一歩一歩階段を上ってきたような感じです。

川下 最初から最後まで全部関わりたいという気持ちはすごくよくわかります。僕もPRを長くやってきたんですが、ニュースにならないものをニュースにしろという案件の場合、結局メディアの人にお願いすることしかできることがなくて。

 でも、そもそもスタートの段階からきちんと話題になるものとか、人の注目を集めるもの、価値のあるものを作ることができるといいんじゃないかなと思ったんですよね。それで今、そのスタート段階から関われる新規事業を立ち上げてやっているんです。

 独立後の大貫さんの仕事では、広告代理店の中にあるプロモーションとかPRとかの縦割りのメンバーの影がなかったなと感じているのですが、そこはご自身で全部できるし、統合した方がいいという判断だったのでしょうか。

ペプシマンボトルキャップ/ペプシコーラ〈1998-2001〉
スターウォーズボトルキャップ(エピソード1)/ペプシコーラ〈1999〉
ペプシ60’sディスペンサープレゼント/ペプシコーラ〈2000〉
ザ・シンプソンズ/C.C.レモン〈2000-2002〉

大貫 そうですね。広告はポスターでも、安売りチラシでも、CMでも、プロモーションでも、商品デザインでも、全てがブランド広告なんです。それを縦割りのバラバラにやってもブランドなんて作れやしません。一人代理店のように全て自分で責任を持ってやっています。ペプシコーラの「ペプシマン」にしても、資生堂の「TSUBAKI」にしても、自分で最初から最後までトータルにディレクションしないと成功しない。というか、いつも成功するようにしか作っていませんね。それは、最初にアイデアを考えた時に、常に全ての最終形が読めているということでもあるんです。

 例えば何十案もある商品ネーミングアイデアから、どれが優れているのかを判断するために、このネーミングの商品ならば、どんなデザインになって、どんなお店に置かれて、どんな広告アイデアになって、それを見たお客さんがどう反応するのか。つまり、ネーミングを考えた後の未来図を全部想像した上で、そのネーミングがいけるかいけないかの判断を瞬時にしているんです。

川下 すごいですね。ところで、「TSUBAKI」といえば大貫さんが幼少期から憧れていた資生堂の化粧品ですよね。その広告を手掛けることができた時のお気持ちは?

大貫 僕が幼少期の頃の資生堂は本当に素晴らしかった。特に杉山登志さんのCMに憧れていたのですが、ここ何十年も自分の記憶に資生堂が全く残っていませんでした。かといって、自分が資生堂のイメージを全く新しく変えたいと思っていたわけではなくて、今だって資生堂の本来のやり方で十分に突破できるということを証明したかった。その気持ちが強かったですね。資生堂のような美意識の高い企業を時代に合わせた形で再プレゼンテーションしたかったんです。

日本の女性は、美しい。/TSUBAKI〈2006〉
新ツバキ誕生/TSUBAKI、TSUBAKI GOLDEN REPAIR〈2008〉