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それなのになぜ米子は「ラーメンのまち」として知られることがなかったのか

 にもかかわらず、「牛骨ラーメンのまち」として知られてこなかった背景には、「米子人気質がある」と大森さんは見ている。

「新しい物は好きだけど、人のまねはしたくないという市民性が影響しているのです」

 牛骨ラーメンについては2009年、同じ鳥取県でも中部の倉吉市を中心にして「鳥取牛骨ラーメン応麺団」が結成された。倉吉市は人口比のラーメン店数が米子市より多い。14年には同市で「牛骨ラーメンワールドサミット」も開かれた。「米子はこうした動きを横目で見ながら、もう倉吉でやっているのだから、あえて同じことをやらなくていいという感じだったようです」と話す。

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「ラーメン店主は一匹狼的な人が多く、取りまとめ役がいないのも発信につながらなかった原因ではないか」とも考えた。

「米子牛骨ラーメン同盟」を結成したのは、こうした現状を打破して、市外からの誘客に結び付け、市民にもいろんな店に行ってもらいたいという思いからだった。

「米子牛骨ラーメン同盟」のポスター。キャッチコピーの「当たり前に」は「牛骨ラーメンが当たり前になってほしい」という願いを込めて

「同盟」には25軒が参加。まずは各店を紹介するホームページを制作した。掲載する内容は大森さんに「牛骨ラーメン愛」を熱く語った広告代理店経営者に依頼し、新メニューなどのトピックスを毎週載せるようにした。ラーメンを食べるのを旅の目的にしてもらおうと、皆生温泉や大山、水木しげるロードの観光とセットにしたプランの案も掲載した。

「将来的には、企業に参加してもらい、グッズを作るなどしたいと考えています」と大森さんは意気込む。

それではさっそく行列のできる人気店に行ってみよう

 では、どんな店があるのだろう。大森さんがよく行く店を、あえて3軒紹介してもらった。いずれも行列ができる有名店である。

 そのうちの一つ「満洲味(ますみ)」は、米子の牛骨ラーメン発祥の店とも言われている。

満洲味の入り口。喫茶店のようだ

 店主の門脇美紀子さん(73)は「父母は満州からの引揚者で、店は戦後間もなく父が始めました。ただし、実質的に味を確立したのは、創業から間もなく経営を引き継いだ母でした」と話す。

 母ハル子さんは、満州で医師として働いていたのだという。しかし、戦後は一人で店を背負っていかなければならなくなり、医師には復職できなかった。