中学生のときにショックを受けた出来事
中学生のあるとき、職員室に呼びだされて教員から注意された。私は成績は良く、素行にも問題はないはずで、なぜ? といぶかしく思ったけれど、この人は「もっとテレビを観たら?」と思いもよらない提言を私に対してしたのだった。一般的なセンスや、いわゆる人間らしいやり取りの基本をテレビから学べ、というのだ。
教員は私を見ていて、友だちと混ざり合わず、話も通じず、関心の対象がまるで違っていたのを、この人なりに心配したのだろう。けれど、お前は成績は良くても人間失格だぞ、と言われたも同然であると感じ、少なからずショックは受けた。
私のいた環境ではあまりテレビを観ることもできず、その後も、私は浮き続けてしまった。自分が異質だという思いはますます強くなっていき、同級生たちからはさらに遠ざかった。学生のうちは良いけれど、これでは生きていけないと焦りが募った。何とかする必要があるが、自分がおかしいのは臓器でいえば脳であるはずだから、何とかするには脳をもっと知らなければ、という思いに駆られたのも中学生の頃であったと思う。
どうして、私の方が世界に合わせなくてはならないのだろう?
どうして、私の方が世界に合わせなくてはならず、世界をこちら側に合わせることを発想させてもらえないのだろう?
どうも中学校で教える教員というのは狭量で見識に乏しい人たちであるのではないだろうかという疑念さえ湧いた。だが社会に適合するというのはそういう意味であるし、私にそのスキルがないことをすごく心配されたのも今となってはよくわかる。
同じような経験をした人と話をしたことがある。彼は、自分の思考が周りにあまりにも理解されなかったので、中学校の頃から日記を書いているんだ、と言っていた。そして、私が5歳の頃にあまりにも理解されなかったことを話すと、経験を共有できる人がいた、といたく喜んでいた。私は日記を書くということはしなかった。
だからこのとき、子どもの頃に思っていたことをかならず忘れずにいて、長く生きて、のちに出版物として刊行するようにしよう、と思ったのだった。この願いはかなって私は考えたことを公に伝えることができる手段を持てるようになった。こんな人間もいるのだということを共有できることが人間をより強くするのだとしたら、多くの人に知ってもらいたいと思う。