ブレない人、正しい人だと言われたい、他人に認められたい……社会集団の中で人は誰もが承認欲求と無縁ではいられない。無意識の情動に流されながら、あいまいで不安な状態を嫌い、自らを正義に置くことで他者を糾弾し安心を得たがるのだ。
ここでは、自身の人生と脳科学の知見を媒介に、ヒトの脳に備わる深い闇を鮮やかに解き明かした脳科学者・中野信子氏の著書『脳の闇』(新潮社)から一部を抜粋。中野氏の「結婚」に対する考え方を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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結婚は合理的か
私の結婚相手はそこそこ容姿の良い人なので、しばしば「旦那さんイケメンですね、 いいな」などと言われる。彼は職場が大阪であるので週の半分は家にいないのだが、帰ってきてすらりとした姿を見せてくれるとやはり、おお、かっこいいねと、結婚して12年経ってもまだ感じられるというのは、僥倖というべきなのかもしれない。
とはいえ、イケメンと結婚していていいねと言われてしまうと、どうも釈然としない気持ちにもなってくるのだ。私は、「自分という異様な女を、わざわざ選んで気に入ってくれた旦那ちゃん」という男を気に入って夫にしたのであって、イケメンだから気に入って結婚したのではない。その人格的な部分を丸ごとスルーしてしまうようなニュアンスが、この言葉にはあるように感じられてしまう。
結婚相手の容姿のプライオリティはそう高くはない
そういう人たちは、イケメンだったら誰にでも、ホイホイ付いていったりするのだろうか。あるいは、イケメンと付き合っていても、別のもっと高収入のイケメンであるとか、よりイケメン度が高い男性というような人がアプローチして来たとしたら、あっさりその相手に乗り換えたりするのだろうか? このような疑問が次から次へと生じてしまい、頭の中がはてなだらけになってしまう。
結婚相手というのは、下手をすれば24時間365日何十年も一緒に過ごさなければならないかもしれない相手である。ずっと一緒にいるのなら、その人の唯一無二性に魅力を感じるからいる、というのがやはり自然ではないだろうか。どちらかといえば容姿のプライオリティはそう高くはないのではないだろうか?
それに、そんなにイケメンがよいのなら、適当な男性をつかまえて、美容外科にでも送り込んだほうが効率的ではないだろうか。