文春オンライン

2023/02/14

利益だけを優先するのであれば、結婚はしないほうがいい

 家族になるというのは、その人の記号的価値だけをピックアップして選べばうまくいくかといえば、そんな単純なものではない。

 互いの嫌なところ、弱いところ、それぞれの困った事情を、双方が引き受けられるだけの余裕と実力がなくては立ちゆかない。余裕と実力というのは、心理的余裕であったり、経済的な実力であったりする。これらがなければ、相手の弱さを助けるどころか、自分の弱さですら扱えずに互いに自滅して、結局、2人は相手に依存的に攻撃を繰り返し、傷つけ合う関係に疲れ果ててしまうことになるだろう。

 互いの良いところを素敵だと認め合った瞬間が一度はあったのだろうに、それぞれの未熟さゆえに、互いを傷つけ合って終わるのだ。私はそんな関係をごく子どもの時代から身近にこれでもかというほど観察してきて、結婚というものは苦しい修行のようなものだと思ってすらいた。

 それなのになぜ結婚しているのかとしばしば問われる。まあ、してみなければわからないよと言ってしまえばそれまでなのだが、利益だけを優先するのであればしないほうがいいことだけは確かだろう。

経済合理性だけを求めて結ぶ親密な人間関係は成立しない

 20世紀の経済学を宗教のように信じ、合理性に基づく関係だけにしか価値がないと言い切ることができる人は、もしかしたら仕事はできる人かもしれない。

 けれど、結婚はそうではない。欧米諸国での離婚率が高く、日本も3割を超える人が婚姻関係を解消するというのは、巷間、主に高齢の男性たちが主張するような女性の社会進出が根本要因なのではなく、双方が経済合理性だけを求めて結ぶ親密な人間関係というのは成立しえないという、単純な事実の社会的実証に他ならない。

 私の夫は経済力があるタイプとは言えない。家事のできる人でもない。けれども経済合理性では説明のつかない人間的な余裕という点では圧倒的だ。しかもそれは相手構わず発揮されるものではない。こういう相手とでなければ、私もそもそも結婚には向かない人間であっただろう。