「科学者」でなく「主婦」として評価されるマリー・キュリー
マリー・キュリーは男性でも取るのが困難なノーベル賞を2度も受賞している。夫のピエール・キュリーはノーベル賞はマリーとともに受賞したが、レジオン・ドヌール勲章は辞退しているほどの硬派な物理学者だった。信念の強い男性だったのだろう。マリーはピエールとともにポロニウムとラジウムを立て続けに発見し、ピエールの死後も研究を続けて2度目のノーベル賞を受賞したのだ。
だがこの科学者を、キュリー「夫人」と紹介し、「女性」科学者と呼ぶことに誰も違和感を抱かなかったのだろうか。あまつさえ、主婦としてもどれだけ優れていたのかなどとしばしば取り沙汰されるのは、未成年人口の半分を占める女性たちの未来をどれほど狭めてしまうことか。
マリーとピエールが結婚した時の逸話もよく語られている。経済力のなかった2人は、結婚式のドレスを極力地味なものにして、式で1度きり着るのではなく、実験室にも着ていくことができるような実用的なものにした。新婚旅行は祝儀で購入した自転車での旅行で、旅行から帰るとマリーは真っ先に購入するものとして家計簿を選んだという。
質素な生活で家計を維持し、2人の子どもを1人で育て上げる
合理的な科学者らしい選択だといえるが、これを美談として、家庭的な良妻賢母でもあった、と彼女を持ち上げるのはいかがなものだろうか。仕事でも一流、家庭の妻としても一流、やはりノーベル賞を受賞したイレーヌ・キュリーを育てた母としても一流、と。確かにすごい業績なのだが、そうできない女たちを、お前たちは怠慢だ、やる気になればできるはずなのにと、男たちが鞭打つための道具として使われてしまっている節がある。
まあ、本気でそう言っている男性がいたとしたなら、勲章をご辞退なさってからならご意見伺いますよ、と返事をすればよいだけなのだけれど。
マリーの結婚生活は長くは続かなかった。離婚ではなく、ピエールが交通事故で帰らぬ人となったのだ。未亡人となったマリーは、その後も質素な生活で家計を維持して、2人の子どもを育て上げた。そのなかで研究を続けたことを立派だと称賛するのはたやすい。けれど、これが男性だったらどうなのだろうといつも考えさせられてしまう。