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「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せえ」

 この事件からさかのぼること1週間ほど前の9月中旬。川勝オーナー、森本昌孝球団代表、野村の後援会の会長を務めていた飯田新一・高島屋社長、後援者の葉上照澄師(比叡山延暦寺阿闍梨)らがトップ会談を開き、野村の更迭を決めた。

 このトップ会談の直前、野村は延暦寺まで葉上師を訪ねていた。沙知代も一緒だったが、葉上師は彼女と顔を合わせるのを拒んだ。野村1人だけで面会すると、「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せえ」と葉上師に迫られた。だが、野村は即座に「女を取ります」と答えた。「野球ができなくなってもいいんだな」、葉上師が念を押すように確認すると、野村は「仕事はいくらでもあります。けれども伊東(旧姓)沙知代という女性は、世界に1人だけしかいません」と言い放ち、その場を後にした。

野村克也氏 Ⓒ文藝春秋

 9月27日、野村はチームを離れて1人大阪府豊中市の自宅に戻った。大勢の報道陣が押しかけ、自宅籠城の憂き目に遭う。

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 そして翌28日、南海は野村の監督解任を発表。「公私混同によるチームへの悪影響」という、前代未聞の理由だった。この会見の直前、森本球団代表は野村に電話を入れて辞任を勧めたが、野村本人は「解任で構いません」と伝えた。「電話でこういうことを伝えなくてはならなかったのは非常に残念だ。監督解任の通告は、あす文書で正式に伝える。この通達はオーナーも了承している」と森本球団代表は語った。

 この数日後、野村は川勝オーナーと会った。オーナーは野村の顔を見るなり「申し訳ない。君のことは信頼していたのだが、最後はワシ1人ではどうにもかばいきれなかった」と頭を下げた。

 だが、これですべてが終わりではなかった。

「スポーツの世界に政治があるとは思いませんでした」

 野村は南海で最後の記者会見を行うことを決意。沙知代と話し、「豪快にやろう」と腹をくくっていた。10月5日、最後の記者会見の会場である大阪・北区のロイヤルホテルでこう言い放った。

「私は鶴岡元老に吹っ飛ばされたということです。スポーツの世界にも、まさか政治があるとは思いませんでした」