「少年A」両親の心を開いた女性記者の夢と欲とは……。ノンフィクション作家・清武英利氏の連載「記者は天国に行けない」(「文藝春秋」2023年3月号)を一部転載します。

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「いまも実行犯の背後にあいつらがいたと睨んでいる」

 今年の正月を目前に控えた凍寒の夜だった。暴力団捜査を担当した元警視庁刑事たちの小さな忘年会が、東京都心の駅前酒場で開かれていた。

 濛々たるタバコの煙である。靄と喧騒の中に、私も身を沈めていた。そんな喫煙居酒屋がサラリーマンで賑わっていることも、かつてのマルボウ刑事たちが定刻の2時間も前から飲み続けていたことも驚きだった。

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 新型コロナウイルスが依然、収まらないのに、彼らは紫煙のなかで痛飲し、再就職先の居心地や現役時代の武勇伝を、口角泡を飛ばして話し込んでいる。

 かつては後輩の現役刑事も交え、大衆中華料理屋などに巨体、屈強、異相の輩が集まって、泣く子も黙る宴会を開いていたのだ。だが、コロナ禍が広がってからはそれもままならず、久しぶりの集まりなのである。

 人恋しいのだ。そこに身を置いた私もそうだった。

 話題は、彼らが「八王子戦争」と呼ぶ、指定暴力団山口組と二率(にびき)会との抗争事件に始まり、オウム真理教幹部だった村井秀夫刺殺事件に及んでいた。

オウム真理教の幹部だった村井秀夫 ©時事通信社

 八王子戦争は1990年2月、山口組宅見組系組員が東京都八王子市の二率会組員に殺されたことをきっかけに起きた。始まりは暴力団組員同士の地方抗争に過ぎなかったが、これをきっかけに、山口組は全国から傘下組員を新宿に集め、そこから八王子に攻め下った。そして橋頭堡を築き、とうとう東京への本格進出を果たしてしまった。

 私が警視庁を担当していた1988年までは警視庁幹部が「山口組は東京に入れさせない」と力みかえっていたのだ。だから、マルボウ刑事にすれば、あれは「戦争」のような時代を分ける大事件であった。

 ——なぜ山口組はあれほど簡単に東京に進出できたのだろうか?

 そう考えていると、元刑事が話題を変えた。

「村井の事件は謎だらけでしたね。あれは悔いの残る捜査でしたよ」

「うん、俺はいまも実行犯の背後にあいつらがいたと睨んでいる」

 と言ったのは元上司である。

 村井刺殺事件は八王子戦争から5年後に、オウム真理教の教団東京総本部ビル前で起きた。村井は教団の「科学技術省大臣」で、サリン製造の統括責任者だった。それがテレビカメラの前で、刃物を手にした山口組系暴力団羽根組傘下の右翼団体構成員・徐裕行(じょ・ひろゆき)に刺された。

 暴力団相手なので、マルボウ刑事たちが捜査に投入される。

 真の動機は何なのか、誰に指示されたのか、刑事たちは厳しく追及したが、徐は単独犯を主張し続ける。村井の殺害には後述する「口封じ説」や陰謀説が根強く残っていた。だが、刑事たちは疑問を抱きながらも、謎の奥にたどり着けなかった。不完全燃焼なのである。だから捜査の悔いを今も口にする。

 マルボウの世界は謎に満ちているのだ。

 そんな話をしていると、紫煙の中に若い女性が一人首を突っ込んできて、ペコリと頭を下げた。警視庁詰めの新聞記者で、知能犯と暴力団担当記者の仕切り(チーフ)なのだという。いまや女性が警視庁キャップを務めることも珍しくない。

「そんな時代になっています」

 彼女ははにかみながら言った。こんなところに顔を出すのは、当局OBから情報源を手繰り寄せようというのだろう。私もやってきた手法なので、好ましく思って、元刑事たちとのやり取りを聞いていた。彼女は不器用だが、ふんわりと刑事流の叱咤激励をいなし、かわし、笑い飛ばしている。