45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。1970年代前半、山下達郎、大貫妙子らと出会い、音楽家として飛躍を始めた日々を振り返る(全2回の2回目/前編を読む)。
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坂本龍一が手がけたNHK-FM最後のラジオ・ドラマ
NHK‐FMドラマで現在確認されている坂本龍一最後の作品は1976年9月3日放送の「ハムレット」。風間杜夫が主演するこのシェイクスピア劇は現代風ロック・オペラのようにアレンジされたラジオドラマで、坂本龍一は風間杜夫ら登場人物たちが歌うファンク・ロック曲、ロマンティックなピアノ歌曲、ハード・ロック、ソウル・ミュージック風のインストゥルメンタル曲に加え、アフロ・ビートをフィーチュアした楽曲、フュージョン前夜のような作品も提供。演奏はバイバイ・セッション・バンド。ここで1970年代後半の坂本龍一の音楽的な基礎と幅広さが確立されていたことがわかる。
これら1975~76年のラジオ・ドラマの仕事は坂本龍一のキャリアにとっては重要なものであったが、その後の音楽家としてのブレイクの前夜で記録も残っていないということで、長く忘却されてきた。近年、その録音が坂本龍一の私物の中から発見されたことでやっと陽の目を見ることになった。
フォーク以外のミュージシャンとの交流が拡がってきたのもこの頃だった。実家近くにオープンし、客として常連になっていた千歳烏山の『ロフト』の創設者である平野悠はレコード喫茶のような場所であった『ロフト』をライブハウスにしたいという希望を持ち、1973年に『西荻窪ロフト』をオープンさせた。坂本龍一はここに客としてだけではなく、ミュージシャンとしても訪れた。
1973年7月に行なわれた20日間続いた連続コンサート『春二番コンサート』に出演。桑名正博、南佳孝らが共演だった。
そして翌年、平野悠は『西荻窪ロフト』よりもさらにライブハウスとしての環境を整えた『荻窪ロフト』を開く。オープニング・セレモニーは開店日の1974年11月11日から10日間。ここでは友部正人ら馴染みのフォーク・ミュージシャンのほか山下洋輔トリオのようなジャズ、あるいは細野晴臣らのティン・パン・アレーのようなロック系のミュージシャンも出演。
11月22日から24日の3日間行なわれたティン・パン・アレーが中心となったセッションに出演したのは次のような顔ぶれだ。