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 この年、六文銭の及川恒平がアイヌの民話をテーマにしたレコード『海や山の神様たち‐ここでも今でもない話‐』をビクター音楽産業の学芸部から出すことになったとき、サポートとして声がかかった。東京藝術大学で私淑していた民族音楽の権威、小泉文夫の授業に出るなどの経験も買われたのだろう。

シュガー・ベイブとの交流から生まれた大滝詠一との出会い

 ただし、この時点ではアイヌ音楽の資料は市中にほとんど存在せず、坂本龍一はアイヌ音楽の再現ではなく、このときの自分の手札であるクラシックやソウル・ミュージックなどさまざまな音楽を駆使してアルバムの作編曲を行なった。ここでコーラスに起用したのがシュガー・ベイブの山下達郎と大貫妙子だ。前述のとおりシュガー・ベイブとは『荻窪ロフト』で知り合いになっており、彼らのライヴに客演する仲になっていた。

©吉村栄一

 このシュガー・ベイブとの交流は、やがて大滝詠一との出会いにつながっていくことにもなった。また、この『海や山の神様たち‐ここでも今でもない話‐』での仕事が評価され、以降、坂本龍一はビクター音楽産業の学芸部発のレコード作りに関わることになっていった。

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 こうした、フォーク、ポップスの世界で坂本龍一の存在感が飛躍的に高まっていった1975年だが、本人としてはこうした世界での仕事はただのアルバイトという意識だった。以前の工事現場でのバイトとはいわないまでも、シャンソン喫茶でのピアノ伴奏のバイトと大差がないという意識。

「この頃は便利屋さんですね、本職だという意識がないから便利屋に徹していた。スタジオ・ミュージシャンとしての自我が出てくるのはもう少し先になってから」(※※)

 ロック、フォーク、ポップスの世界で仕事とバイトを行ないつつ、その裏で坂本龍一は自分なりの天職ともいえる活動にひそかに精を出してもいた。

※2016年の『Year Book 1971-1979』(commmons)ブックレットのためのインタビュー取材(※※)から抜粋。

坂本龍一 音楽の歴史 : A HISTORY IN MUSIC

吉村 栄一

小学館

2023年2月21日 発売