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6年かけてようやく「連載作家」に…遅咲きの漫画家・ピエール手塚(40)が明かす「チャンスを逃さない方法」

6年かけてようやく「連載作家」に…遅咲きの漫画家・ピエール手塚(40)が明かす「チャンスを逃さない方法」

「40歳、新人漫画家」の生存戦略 #2

note

ピエール手塚 どうですかねぇ……。「料理漫画を描けよ」とは言われました(笑)。

――料理漫画の大御所にそれを言われるのは怖すぎる。

商業デビューのために同人活動を始めたわけではない

――昔から漫画家志望だったんですか?

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ピエール手塚 もともと絵を描くのは好きだったので、20代の頃に何度か漫画を描いてみようとしたんですが、当時は最後まで完成させることができませんでした。それから30代になり、いろいろな経験もしてきたので、「今だったら描けるんじゃないか?」という気持ちが湧き、34歳で同人活動を始めました。

 退路を断つため、とにかくコミティアに申し込んで、「この日に同人誌を出すぞ!」という状況に自分を追い込みました。ただ、その時点でも商業デビューを目指していたわけではないんですよね。

――てっきり「子どもの頃からの夢を社会人になっても諦めず、やっとデビューを掴んだ」という方だとばかり……。

ピエール手塚 商業デビューするために同人活動を始めたわけではなく、久々に挑戦してみたら漫画が1冊描けたので、定期的にコミティアに出るようになったら、編集さんに「その作品を『ちばてつや賞』に出してみませんか?」とご提案いただき、37歳のときに『ねえママ あなたの言うとおり』で「第80回ちばてつや賞」のヤング部門で佳作を受賞しました。そこで初めて「あれ? 商業誌で描ける可能性もあるのかな?」と感じました。

「第80回ちばてつや賞」で佳作を受賞した『ねえママ あなたの言うとおり』(画像:同賞の公式サイトより)

――『ゴクシンカ』で連載デビューするまでは、複数の媒体に読み切りを掲載していましたよね。

ピエール手塚 そうですね。連載向けの漫画というのは勝手が違い、ネームが上手く描けずに苦労していました。でも読み切り形式なら描けそうだったので、商業媒体に読み切り漫画を掲載して原稿料をいただくことを何度かやっていくうちに、自分の中で少しずつ方法論が確立されていき、初連載へと繋がりました。

――では、趣味で漫画を描いていたら商業デビューに至ったような……。

ピエール手塚 目の前に漫画家デビューのチャンスが転がってきたから飛びついた……という感じです。デビューに向けて何かしたというよりは、ひとつひとつの機会に向き合った結果、今に至るという感覚ですね。