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 クリスマスの話も、もちろん笑えない状況があって、深刻なことを真剣に考える必要はあるんだけれども、その中で何か感動的なこととかユーモラスなことが起こる。それが立ち上がることに結びついていくんですね。ブレイディさんの本も、社会の中の強烈に苦しい状況を見据えてらっしゃるんですけど、どこかユーモアがある。それが大事だと思うんですよ。

ブレイディ でも、イギリスってわりとそういうことをしますよね。ケン・ローチみたいなコマーシャルだって、たぶんみんな、本末転倒だよねって笑いながら作ってると思いますよ。日本のいい話はないんですか。

國分 ブレイディさんの本は日本で大ヒットするじゃないですか。こういう本を読んで共感して、いろんなことを考える人がいるのは、とても心強い状況だと思うんですよね。僕の『スピノザ』も非常に硬い本で、専門的な議論もけっこうしている。「こんな難しい話が何の役に立つんだろう」みたいに思う箇所もたくさんあると思うんですけど、それにもかかわらず大勢の人に読んでいただけているんですね。そう考えると、日本は本をきちんと読むというカルチャーが根づいている国かなという感じがしていて、最近はそこに大きな期待感を持っているんです。

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ブレイディ 國分さんの『スピノザ』は、自分でこんなに楽しむと思わないぐらい面白かったです。たくさん付箋も貼っています(笑)。自分で興味を持って昨日の夜とか調べていたんですけど、スピノザって、結構アナキズムに近いことを言ってるんですよね。

國分 ああ、そうですね。

ブレイディ ホッブズを取り上げて、自然権を放棄できるかという問題に触れているじゃないですか。國分さんはスピノザを読み解くことで、ホッブズの言う「放棄」は「自制」と呼ばれるべきなんじゃないかと論じています。そして、この本の中でスピノザの「私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています」という言葉を紹介していますよね。あれ、ほんとにアナキストが言いそうなことだなと思って。

國分 なるほど。たしかにそうかもしれないです。

「個人は心臓で社会は肺」この言葉が言い表していることは?

ブレイディ アナキストってよく「自主自律」という言葉を使うんですよね。私がインタビューで「ジシュジリツ」というと、原稿では「自主自立」になって返ってくることが多いんですよ。たぶん自分を律するという言葉が、皆さんのアナキストのイメージと合わないからじゃないかと思うんです。でも、自律というのは自治のこと、自分を統治することだから、自分を律するの「自律」なんです。これは『スピノザ』で書かれている「自制」と似通ったものがあるなと思って、いろいろ調べていたら、やっぱりアナキストの中でスピノザに惹かれている人っているみたいで。たとえば、ダニエル・コルソンというアナキズム系の論者がいます。日本でもアナキズム系の雑誌に彼の文章が載っているようですが、この人が「アナキスト・リーディングズ・オブ・スピノザ」という文章を書いているんです。まだちゃんと読めていないのですが、有名なアナキストへのスピノザの影響を論じている文章のようです。