フードロス削減や貧困問題の解決に奔走する人気料理研究家・枝元なほみ氏。そんな枝元氏が2022年10月7日に新著『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』(朝日新聞出版)を上梓した。

 枝元氏は本書の中で「〈フードロス〉を考えることは、〈未来〉を捨てないことにつながっていくのだ、そうも思えてきました」と綴っている。ここでは、本書からさらに一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)

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写真に収めてもらうための料理を作っている

 長いこと私、料理を仕事にしています。分野は家庭料理。人が食べて生きていく、その日々の暮らしの中にある料理を考える仕事です。いろいろな食材と向き合い、冷蔵庫を開けたり閉めたり火の前で鍋を振ったりしながら、30年ほどキッチンで働いてきました。

 家庭料理を作りながら実際の家庭料理と違うところは、仕事にしているということ。家族や友人たちと食べる料理を作るのではなく、写真に収めてもらうための料理を作るわけです。場合によって10時間も12時間も立ちっぱなしで多種類、大量の料理を作ったりするわけで、家庭だったらやりくりしながら2週間、3週間もつような材料を1日で使います。

 おまけにもし失敗したらなんて思ったり、作る途中のプロセス写真を撮るなんていうこともあったりして、買う材料はつい多め多めに、となります。

切れ端の野菜、半端の肉を捨てたら「きっと私は地獄行き」

 そんなわけででき上がりの料理もさることながら、半端なものが途方に暮れる量で残ります。役割は終えた、とそれらをそのままごみ箱行きにする? ふるふるふる(震えて否定)、そんなことをしたらもったいないおばけが出て、きっと私は地獄行きだとずうっと思ってきました。

 どうにかしてみんなに持って帰ってもらいたい、胃袋に収めていただきたい、そのために頑張る、それでも切りかけや切れ端の野菜、半端の肉なんかが残ります。それゆえ仕事の翌日や翌々日は冷蔵庫整理の料理が続きます。

 あぁ片付けって、永遠に終わらないような気がします。こまごまと頭も使うし手間も暇もかかる。いっそのこと全部見なかったことにして捨てたりしたら……。家庭料理を考える資格がなくなっちゃう、そんな風にも思うわけで。

 〈フードロス〉の大義から考えるというより、料理という命を養う行為(これはこれでちょっとオーバーな物言いですが)を生業(なりわい)としながら、その元の、食べ物の命を粗末にしかねない罪悪感と戦っていくような、料理をしながら食べ物を捨てない修行をするような、そんな感じもしているのです。