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切れ端の野菜、半端の肉を捨てたら「きっと私は地獄行きだ」…人気料理研究家が食べ物を捨てない“本当の理由”

『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』より #1

2022/11/15
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ロスパン、ロスジェネ…人間の都合で「正規」か「ロス」かが決まる

 夜の街角にぽつんと灯ったあかりの下、パン屋を開いて気がついたことがいろいろありました。

 お客さんと売り手の私たちの間にパンがあるせいか、なんだか関係がやわらかいのです。

 取材もたくさんしていただいたせいで「いい取り組みですね」と言っていただくことも多かったのですが、その上に何げない「おいしそうね」がありました。ゆるくふわりとしているけれど気持ちに陰のない感じもして、それはなんだか、食べ物の力のような気もしたのです。

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〈ロスパン〉と呼ばれる、残って廃棄されてしまうかもしれないパン、そのロスという言葉のことも考えました。朝焼かれて、1日売り場にふくふくと豊かに華やかに並んでいたけれど、時間がきたら「残ったもの」になってしまう。

 でも買われていったパンも残ってしまったパンも同じパン。残って〈ロスパン〉になるのは、人間の都合なんだよなあ、と思いました。「夜のパン屋さん」の販売者さんたちは、折しもロスジェネと呼ばれる世代の人たちでした。パンも人も同じじゃないか、となんだか悔しくなりました。

©iStock.com

 人間の都合、経済や社会の都合で、正規かロスかが決まる、必要か必要じゃないかが決められる。残ってしまったらロスとして廃棄だなんて、そんなのどう考えたってやっぱりおかしい。

 豊かに、たっぷり、安くたくさんあるのがよいこと。常に新しい、一番上等のものを買えるのが、今どきの豊かさ。そんな価値観では、未来の人が受け継ぐべきものを先に食べ散らかしてしまうことになるんじゃないかと思えてきました。

「訳あり」は利益のための「訳」

 そういえば、「一番搾り」や「一番だし」という言葉を最初に聞いたころ、じゃあ二番はどうなるんだろう、と考えたことを思い出しました。

 一番の意味は少し違いますが、私たち、いつの間にか一番を競ってスーパーマーケットの棚に並ぶ、美しく並べられてラップでピシッと包まれた食べ物に慣れてしまったのかもしれないです。畑に行けば、大きいのや小さいの、曲がったのやいびつなの、虫喰いのあるのや傷のあるのだっておおらかに一緒に陽を浴びています。綺麗に形の揃ったものを並べるのは、箱の都合、スーパーの棚の都合、値段を決める都合だったりするんですね。「訳あり」のその「訳」が、自然とともに生きる循環のためではなくて、利益のための「訳」になってしまった。

 美しいやおいしいや儲かるを競争するところから、そろそろ降りたいなあと思うようになりました。競った先にあるのは、勝者と敗者だったり、1%と99%の区分けだったりするのかもしれません。