『スピノザ』を読んで、そういう接点を見つけられたのも収穫でした。それからスピノザが、「自然な権利に反することなく社会が作られ」ることを目指したという指摘も我が意を得たりです。2021年に『他者の靴を履く』という本を書いたときに、エマ・ゴールドマンというアメリカのアナキスト女性を紹介しました。彼女は「個人は心臓で社会は肺なんだ」と言っているんです。個人と社会のどちらが大事ということではなくて、個人という心臓を生かすために肺である社会は栄養を送らなきゃいけない。要するに、人間の自然な権利に反することなく社会は存在できるということを、この言葉で言い表しているんですよね。
スピノザにはアナキズムに近いところがある
國分 ブレイディさんは、自分がもっとも共感できる思想をひとことで言うとアナキズムかもしれないと、ずっとおっしゃっていますよね。アナキズムって何なんですかと言われると説明が難しいところがあります。イメージで語られやすいし、社会のなかでなかなかマジョリティにはならないので、姿がはっきりしないんですよね。
でも、いま「自律」とおっしゃったように、上からの抑圧をもとに秩序を作っていくんじゃない、ということがアナキズムの基本にあると思うんです。ホッブズだったら、まさしく上から抑えつけて秩序を作る。それに対し、抑圧や禁止に基づくんじゃなくて、人々が協力して生きていくことで社会を作るというのが、アナキズムの発想の根本でしょう。だから抑圧に対する反発心が根幹にある。スピノザにはその点でアナキズムに近いところがあります。抑圧に基づいて秩序を作るという考え方にどうしたら対抗できるかというのはスピノザの問いでもある。
哲学史を紐解いていくと、上から押し付けて秩序を作っていくという発想のほうがメジャーです。でも全然違うことを考えてきた人たちの流れもポツポツとある。スピノザもこのメジャー路線から外れた側にいる人です。そもそも長い間スピノザは哲学史の裏街道にいた人で、そのことは、社会的な抑圧を前提に秩序を作ることを拒否するアナキズムが常にマイナーな側面を持っていたことに似てますね。
ブレイディさんが『ワイルドサイドをほっつき歩け』で書かれていたような、政治にあまりにも見放されたから自治が盛んになってきたという状況はまさしくアナキズム的ではないでしょうか。(その3へ続く)
構成・斎藤哲也
〔本稿は「文藝春秋100周年オンライン・フェス」にて2022年12月9日に行われた対談を再録したものです〕
▽プロフィール
國分功一郎
1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』、『暇と退屈の倫理学』(第2回紀伊國屋じんぶん大賞受賞)、『ドゥルーズの哲学原理』、『来るべき民主主義』、『近代政治哲学』、『中動態の世界』(第16回小林秀雄賞受賞)、『原子力時代における哲学』、『はじめてのスピノザ』『スピノザ』など。訳書に、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』など。
ブレイディみかこ
1965年、福岡県福岡市生まれ。96年から英国ブライトン在住。ライター、コラムニスト。2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』で新潮ドキュメント賞、19年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞、毎日出版文化賞特別賞などを受賞。他の著書に『労働者階級の反乱』『女たちのテロル』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ブロークン・ブリテンに聞け』『両手にトカレフ』などがある。