フリーになったあと、いろんなところから声がかかることが増え、仕事の幅が広がったという。アメリカのマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙―サイレンス―』(2016年)では、江戸時代初期にキリシタン弾圧を指揮した井上筑後守を、残虐性と幼児性を併せ持った人物として演じてみせた。あるいは、NHKスペシャル『未解決事件』シリーズでは、1995年に起きた警察庁長官狙撃事件の実録ドラマ(2018年)で、容疑者に浮上した老スナイパーの男に扮した。男の供述にもとづく事件の再現シーンでは一人芝居も採り入れられ、尾形ありきの演出がなされていた。いずれの作品も新境地といえる。
「80歳になれば80歳の地平が見えてくる」
芝居一本に専念できるようになるまで、肉体労働で生計を立ててきた。長らくそのとき鍛えた体力を資本に活動を続けてきたが、60歳をすぎたころには、さすがにかつてのようにとんだり跳ねたりするのは難しくなった。それでも年齢を重ねることで見えてくるものがあるはずだという。67歳のときのインタビューではこんなふうに語っていた。
《今後足腰が弱ってきたら、「歩く」という当たり前のことが当たり前じゃなく見えてくる、そこには発見があるはずです。(中略)だから役者は、どうやら終わりがなさそうなんです。70歳になれば70歳の、80歳になれば80歳の地平が見えてくるような気がします。というより、そうしないと、「イッセー尾形」をやってきた意味、一人芝居を続けてきた価値がない。ここまできたら、とことん味わい尽くさないと》(『婦人公論』2019年4月9日号)
思えば、『どうする家康』で演じる三河家臣団の長老役も、老境に入った彼がリアルに老人を演じるという意味でやはり新境地なのだろう。今後もイッセー尾形が年代ごとにどんな新たな地平を切り拓いていくのか楽しみである。