ドクンッドクンッ。心臓の音が手足にまで響いて、山登りをした後みたいに、膝がガタガタと震えている。この階段を、降りたいような、降りたくないような。1段1段降りるたびに、心臓の音がうるさく鳴った。
キィ……
おそるおそる居間に入るドアを開けると、ソファーに静かに2人が座っていた。
よかった。オトンがうまく話してくれたのか、意外と話を聞いてくれそ……
「あんた、なんなの??」オカンが口を開いた。
――あぁ、やっぱり。
自分の期待の浅はかさを、僕はすぐに後悔した。
「あんた、頭おかしいんじゃないの!!?」
オカンは、もうすごい形相になっていた。
「あんた! 本当になんなのよ? この訳のわからない障害だかなんだかをひっぱり出してきて、一体、学生の身分で何を言っているの!? だいたいね、あんたが男なわけないでしょ!!」
母の感情の波が怒濤のように押し寄せて、身体を打ち付ける。
「あのねぇ、男は優しい生き物で、女はわがままな生き物なの。私はね、あなたに今まで優しさを感じたことなんて一度たりともないわ だからあんたは女よ だいたいあんたは、一人で生きてきたような顔して、お兄ちゃんの真似してんだかなんだか知らないけど、女の子も連れてきたりとかして、気持ち悪いわ。こんなの(性同一性障害)誰が言ったのよ もういい加減にしなさいよ 自分で子どもも産んでないくせに、あんたなんか! 偉そうなこと言ってんじゃないわよ」
何かが割れた。
何かを言われるだろうとは思っていた。
オカンはそういう人間だから。
それでも期待をした僕が、本当にバカだったのだとすぐに気づかされた。
自分の顔がぐしゃぐしゃになって、涙も鼻水も、出るままにボタボタと床に落ちていった。
言い返したいのに、泣きすぎて、喉がヒックヒックって、言葉がうまく出てこない。
胸が痛くて、本当に痛くて、呼吸が止まっている気がした。
ようやく息が吸えて、絞り出すように、
「じゃあ、お前はなんで産んだんだ!!??」僕はそう叫んだ。
それが最低な言葉であることは十分にわかっている。
でも、そう問わずにはいられなかった。
「産まなきゃ良かっただろ こっちだって産まれてなんてきたくながっだよぉ!!」
産んでおいて、勝手に子どもの将来を自分たちの理想にはめ込んで、その理想にそぐわないとわかった途端にわがままだと言い放つ。普段、子どもを育てるのは無償の愛だ、子どもが幸せになるために努力しているだのなんだのと言っているくせに、結局は違うじゃないか。子どもが欲しい。なんて、あんたらの勝手な「夢」だろう。俺は、あんたらが描いた「夢」のひとつに過ぎない。子どもを産む前に障害者が産まれると思いもしなかったのか? 産まれたらどうなるか考えもしなかったのか? この社会でどう見られるか考えもしなかったのか? ばかじゃないのか?
自分でもよくわからない。
悲しいのと、悔しいのと、腹が立つのと、なんかたくさんの感情。
「死ぬほど辛いんだよ、死ぬほど もうほんとに死にたいほどなんだよ……!! ほんとに」
言葉が、「死にたい」しか出なかった。
20年近く溜めてきた、たくさんの場面で感じてきた憤りや感情の形容が、「死にたい」しか、当時の僕にはできなかった。
「あんたは、死にたい、死にたいって。20歳近くにもなって、そんなくだらない子どもみたいな言い方しかできないのね。ホントに子どもね。わがまますぎるわ」
母が追い打ちをかけるように言い放った。
嫌なことばかりで、我慢ばかりで、死ぬことさえも引き留めて、自分なりに頑張ってきたのに。こんなに悔しいのに、この全ての感情が「死にたい」って、その言葉しか出ないことが辛かった。死にたい以上の言葉が出ない。言いたいことが、確実にここ(胸)にあるのに、表現することができない。伝えることができない。もう、「ンガァァァーーー!!!」って、泣き叫ぶしかできなかった。でも、それを見る、母親の目は冷ややかだった。父は、止めるんだか止めないんだか、よくわかんない動作はしていたが、基本黙っていた。
もうここにはいられない。
財布とチャリ鍵だけを持って、僕は玄関へ向かった。
そして、すぐにチャリに乗り、家を出た。