LGBTQに関する研究や講演活動を行う傍ら、障害者の就労移行支援を行っている勝又栄政さん(31)が、生まれた時に割り振られた性別は女性だった。幼少期から性別違和に悩まされ、現在ではトランスジェンダー男性であることをカミングアウトしている。
ここでは、そんな勝又さんの半生を本人と母の双方の視点で綴った『親子は生きづらいー“トランスジェンダー”をめぐる家族の物語』(金剛出版)から一部を抜粋。大学生で乳房の切除手術を受けるために、やむを得ず両親にカミングアウトすることに。当時、勝又さんと折り合いが悪かった母親の反応は――。(全2回の1回目/続きを読む)
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関東の病院での診断/未成年の壁
病院に向かうため、関東行きの夜行バスをネットで予約する。性別は女性だから「女性」と登録をすると、案の定、バス内の女性席のエリアに予約席が取られている。
「なんでこの(男に見える)人こっちなの?」という視線を一斉に浴びながら、女性エリアの最後尾へ。
「僕も座りたいわけじゃないけども……」と思いつつ、なんだか申し訳なくて、肩身の狭いまま浅い眠りについた。
「――そんな時は、男性って書けばいいじゃん」と、ほかの人は簡単に言うけど、もしバレたら詐称になって訴えられるんじゃないかとか、逮捕されるんじゃないかとか、いろいろわからないことが多くて怖かった。どこぞやの会員カードの類の登録の時はいつもこの記載にまつわる葛藤がついてくる。
男性と書いたらいいのか、女性と書いたらいいのか。考え出したらキリがない。悩みはじめると、もうどこへも行けなくなるから、考えないようにする。
――バスに乗りながら夜が明け、神奈川の病院へ。
「○○番の番号札の方、1番の診察室へお入りください」
その病院では、患者を番号札で呼んでくれた。病院での呼び出しに安心できたのは初めてで、とても嬉しく思った。
診察室に入ると、先生は、自分が今まで違和感を覚えた場面や出来事、思っていたことについて詳細に聞いてくれた。僕は、仙台から来ていること、一刻も早く手術をしたいことも話した。
一通り聞いた先生は、「聞く限り、“性同一性障害”(※)だと思います」と言った。
「やっぱり!」そんなのわかっていたことだ。
「急いでいるということだけど、あと数回は来てもらわないといけないのと、ここでは診断書は書いているけど、治療はやってないので、具体的な治療はできないんだよね」
あ……また、この診断・治療の分化パターン。また病院を探さなきゃいけないのか。
肩を落としかけた僕に、先生は「知り合いに、ホルモン治療をしている病院がある。仙台じゃ頻繁には来られないだろうから、今から行けるなら話を聞いてくるといい」と言ってくれて、すぐにその知り合いの先生に連絡してくれた。次は、東京だ。
東京の病院では、手術やホルモン治療について話をしてくれた。
僕は、話を聞きながら、真剣に先生の話を聞きつつも、どこか夢心地だった。現実にこんなことをできる場所があるなんて~~! 想像もできなかった世界が、ここにあったのだ。これまで何度願ったかわからない「男」が! 胸が高鳴って、興奮状態なのが自分でもわかった。
手術ができるとわかれば話は早い。
「すぐにでもお願いしたいです!」そう話した僕に、「君は19歳だよね。19歳は未成年だから治療はできない。もし治療をするには、親に同意書を書いてもらう必要がある」と先生が言った。
親の同意……それは、多分無理。いや、というか絶対無理。あの親が、いや仮に父親はいけたとしても、母親は絶対にウンとは言わないだろう。それどころか、殺されるくらいの説教が待っているに違いない。下手したら縁切りかもしれない。でも、僕にはとにかく時間がない。今のままで生きるのが苦しいという状態に加えて、目前に迫る「就活」という2文字が僕を焦らせていた。
「わかりました。難しいと思いますが、言ってみます」そう返事をして、東京を後にした。