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「あんた、頭おかしいんじゃないの?」子どもに“性別への違和感”をカミングアウトされた母親の壮絶な反応

「あんた、頭おかしいんじゃないの?」子どもに“性別への違和感”をカミングアウトされた母親の壮絶な反応

『親子は生きづらいー“トランスジェンダー”をめぐる家族の物語』より#1

2023/03/08

genre : 社会, 読書

note

東日本大震災

 家族へのカミングアウトをいつにしようかと考えていた矢先、2011年3月11日14時46分。家にいた、オカン(母親)と僕と妹は、前代未聞の家の揺れに襲われた。テレビが飛び跳ね、戸棚からは皿が飛び出し、あたりのものが全て倒れていった。母親は妹を抱きながら念仏を唱えていて、僕はタンスを押さえていた。とにかく揺れが長く、終わらないんじゃないかとすら思った。揺れている間に電気が落ち、水道もガスも電話も全く繋がらない状況になった。情報源は手元のラジオだけ。これが、多くの人の命を奪った「東日本大震災」だった。

 被災をしてから初めて朝刊が届いたのは地震の3日後。新聞の一面は、上空から撮られた津波で流された家の数々。偶然にもその写真には、母方のばあちゃんとおじさんおばさんが住んでいるはずの地域が写されていた。

「これ、うちじゃない」オカンが指さした写真には、あるはずの母親の実家はなく、辺り一面海に飲み込まれていた。後に、僕の高校時代にすごくお世話になった方も、同じ地域で流されてしまい、亡くなったことを知った。

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 僕らが住んでいる地域は、元々山だったこともあって被害は家の中にとどまり、震災の直後には食料の調達など、生活上で大変なこともあったが、数週間後には大学にも行けるようになっていた。その頃には、ばあちゃんの住んでいた地域にも入ることができたが、内陸300メートルの場所に船があったり車があったり。昔何度も訪れた海辺にあるばあちゃん家のあたり一帯には、建物らしきものは、何もなかった。きっと家だったのであろう木材や瓦が、ぐちゃぐちゃになって転がっているだけ――従兄弟みんなで掘りごたつに入って話したり、ストーブで焼いた餅を食べたり、兄たちがベーゴマをしてたり、おじさんが釣ってきた魚を食べたり、そんな生活がここにあったとは思えない姿だった。

 ただ、不幸中の幸い、ばあちゃん(母の母親)自身は震災当日、内陸側のデイサービスに居たこともありなんとか無事で、震災後は僕たちの家で一緒に暮らすことになった。

親へのカミングアウト 

 各地に大きな爪痕を残した震災から、3カ月が過ぎようとしていた。

 震災もあり、大変な時期だということもわかっていたが、自分には強い焦りがあった。「就活」という焦りだった。

「女性として就職は絶対にしたくない」そんな想いが強くあった僕には、もうとにかく時間がなかった。というのも、調べた情報によると、手術は「やろう」と思ってすぐにできるわけではなく、まずはホルモン治療を年程度行った後、ようやく手術ができる状態になるということだったからだ。

 この時すでに大学2年生の6月、就活は大学3年生の12月には開始される。これからホルモン治療を始めても手術ができるのは早くても来年の6月。カミングアウトがすんなり行くかもわからないし、術後の回復に時間がかかることを踏まえると、もうとにかく、早いに越したことはない。これ以上、後ろ倒しにすれば、女性としても男性としても、中途半端な状態になって、余計に就職できなくなってしまうと思った。

 自分の理想の状態で生きるためには、言わなきゃいけない。でも、どんな攻撃や被害が出るのかがわからなすぎて言いたくない。否定もされるだろうな。妹は、僕みたいなヤツが兄と言われて学校でいじめられるのではないか。親戚からは、家族ごと縁を切られないだろうか。地域に住めなくなることもあるかもしれない。こんな時には、田舎の人の近さと温かさが忌まわしく感じられてしまう。

 でも、いろんな可能性を考えても結局、言わないと何も変わらない。状況が変わらなければ、就職はできない……よくわからない焦りと、恐怖と、期待と、不安と。とにかく、いろんな感情が混ざっていた。

「とにかく、急がなくちゃ。早く言って、一刻も早く男に、そしてこの苦しい状態から出たい。早く“普通”になりたい」それが、僕の感情の全てだった。

 そんな自問自答と焦りの中、ある日、オトン(父親)が平日にもかかわらず家にいた。言うなら今しかない……!! 焦りの衝動に後押しされ、僕はオトンに声をかけ、車に呼んだ。

「ちょっと、話したいことがあるんだけど……」 

 緊張で、自分の身体が麻痺しているような感覚だった。

 オトンなら、きっとわかってくれる。わかってほしい。そう願いながら、これまでの経緯を説明した。きちんと説明しようとするけど、泣きじゃくって言葉がうまく出なかった。ある程度話し終えると、オトンはボソッと「そうだったのか……」と弱々しく答えた。オトンの最初の言葉が怒りではなくて、内心ホッとした。なんとか大丈夫かもしれない、と心の中で少し力が抜けていく。

「でも、これは、母さんにも話さないといけないな」この言葉に、ギョッとした。

「いや! 絶対いや! オカンはわかってくれるわけない。絶対に。だから言わないで!」

 絶対に無理だと思った。あのなんでも自分の枠を押し付けてくる人が、こんなことすんなり受け入れるはずがない。

「そうは言っても、言わないわけにもいかないだろ……」オトンは困った様子で、ひとまず家に戻ろうと声をかけてきた。しぶしぶ僕も、車から出て家に入り、オトンは居間へ。僕は2階の自分の部屋へと向かった。

 今頃、オトンはオカンにさっきのことを話しているのだろうか。ベッドに横になり、緊張を抑え込むようにまくらをぎゅうううと抱きしめる。恐さ半分、"家族"という繋がりに対する期待半分。

 僕は頭の中で、今までの人生の功績を浮かべて、「テストの点数はさておき、一応一般的に最低限の内申点は取ってきたし、スポーツだってそれなりに頑張ってきた。休みの日には布団とか綺麗にしたり、洗濯もして、ご飯だって作る時もあって、お金をかけないようにと自分なりに努力してきたし……」なんて、自分が親から擁護されるべきネタを考えていた。なんだかんだ、家族なんだし……。こんな時ばかりは、“家族”という枠組みに甘えようとする自分が顔を出す。

 しばらくして、

「美穂。来なさい」

 1階から、母親の呼ぶ声がした。

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