『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン 著/牧野美加 訳)原書房

「本を大切にしないなんて、文筆家失格」「物書きとしてはモグリ」などの言葉が私のツイッターアカウントに向けて飛んで来たのは昨年11月のことである。

 ことの発端は、故郷である大阪北摂にあたらしい公共施設が完成し、その内観写真を私がツイートしたこと。そこには開放的なガラス張りの図書室が写り、さらにはWi-Fiやコンセントも完備。そうした施設がなかった故郷の変化に喜んでいたところ、「本が太陽光で焼けるではないか!」という批判が殺到した。実際のところは、過剰なまでに大きな屋根や、北向きの窓、さらには紫外線カットガラスなどでかなりの対策がとられていたのだけれど、本を消耗させることに対して怒り心頭に発する人は多かった。

 もちろん、図書館の本は公共物なのだから、出来る限り傷まないようにしておくべきである。ただ、個人所有の本となればどうだろう。「大切にする」という言葉の意味合いは、人によってまるで変わってくるんじゃないかしら。

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 アメリカの大学図書館付属の書籍保存研究室で3年半かけて書籍修繕の技術を身に付け、現在はソウル市内で「ジェヨン書籍修繕」を営む書籍修繕家は、本の価値をこう定義する。

“ここでいう価値とは、高価な財貨を基準とするものではない。持ち主がその本を所有し、経験した時間、その時間の中で本人と本だけが知っている、両者のあいだに存在した「声なき対話の痕跡」を意味する。いくら同じ年に刊行された同じ本を買ったとしても、子どものころに好きな色の色鉛筆で主人公の名前を落書きしながら読んだ本と同じ価値を持っているはずはないだろう”

 そんな彼女のもとには、様々な傷んだ本が辿り着く。亡き母が愛用していたカット図案集や、甥っ子にプレゼントする予定のお古の児童書(その子の父親が幼かった頃の落書き付き!)……そうした依頼に共通したリクエストは、「本に残されている落書きは消さないこと」。

 他の依頼では、大胆に表紙を差し替えて気分を一新したり、保管のためのケースを新調したりすることも。

 ジェヨンが自らの仕事を振り返りながら綴ったエッセイ集『書籍修繕という仕事』を読んでいると、大切にされた本の数だけ、大切にする方法も存在するのだということがよくわかる。

 そういえば以前、とある読者がサインをして欲しいと持ってきてくれた拙著があまりにもボロボロで、中を開くとメモだらけ。その状態があまりにも嬉しかったもんだから、無理を言って新品と交換してもらったことがある。そんな一冊との出会いや、ジェヨンの仕事の影響もあり、最近はもっぱら本を広げてメモしまくるようになった私。古本屋では値段が付かないかもしれないが、個人的価値は爆上がりだ。

재영/書籍修繕家、ブックアート専門家。2014年、アメリカの大学院に進学し、ブックアートと製紙を専攻。大学図書館付属の「書籍保存研究室」で働きながら書籍修繕のノウハウを学ぶ。帰国後の2018年にソウル市内に「ジェヨン書籍修繕」をオープン。
 

しおたにまい/1988年、大阪生まれ。文筆家。note定期購読マガジン『視点』を更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』。