『「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 著)筑摩書房

 はるか遠い記憶がある。春うららかな小学校の教室で健康診断が行われている。順番に並んで身長、体重、座高などを測定し、最後に視力検査。さらにそのあと、変な絵を見せられた。

 オレンジと緑で書き分けられた数字を読み取るという簡単なテストだ。それが分からない人がいるんだって、と帰宅してから親に言うと「色が分からない色盲っていう人がいるんだよ」と教えられた。同時に、決してからかったり誹ったりしてはいけない、と諭されたのが多分「差別」という認識を初めて持った瞬間だ。

 残念ながらその時以降、先天色覚異常の人に出会ったことがない、と思う。自分がそうでなく、周りでも問題が起こらず過ごしてきた日々の中で、無自覚に人を傷つけていたかもしれないと思うと恐ろしい。

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 そもそも私の見ている「色」は他の人の見ている「色」と一緒なのか。異常だ、と診断されていない私は本当に正常なんだろうか。

 著者は1964年生まれ。昭和の小学生だから、多分私の記憶とそう違わない健康診断を受けたと思われる。そこで「赤緑色弱」(現在は異常3色覚)と診断された。男性の20人に1人、女性の500人に1人存在しているという。顕在化している女性は少ないけど「保因者」は10%いると知り、思わず家族を思い浮かべ、父も母も違うと安堵した自分が情けない。

 当時は色覚異常と診断されると、色に関する仕事が制限された。医師やパイロット、鉄道運転士などの夢を絶たれた人もいただろう。

 だがその後、大半の色覚異常者は支障なく業務を行える、と学校健診の色覚検査は事実上廃止される。事実、著者もテレビ局で色に係る仕事をしていて何の問題も起こらなかったという。

 しかしこの廃止で新たな被害者が出た。就活で初めて色覚異常に気付かされた人たちだ。眼科医の訴えで2016年から事実上、学校健診で検査が復活した。

 確かに当事者は気の毒だ。だが昭和時代から長足の進歩を遂げている自然科学では「色」や「色覚」の問題は解決できないのだろうか。

 科学ノンフィクションを多く手掛け、小説家でもある著者は、自身の違和感を下敷きに好奇心の赴くまま調査を開始する。

 脳は色をどう識別しているのかという基本から、脊椎動物の進化による色覚の変化、科学者が色覚に異常と正常の境はないと断言する根拠、最終的には、自分は色覚異常なのかという精密検査の詳細まで明らかにしていくのだ。果たして著者は本当に色覚異常者だったのか。

 最先端科学で、個人の色覚は異常と正常の境界を挟んで連続して分布していることは証明されている。

 ならば、多様性の時代と叫ばれる今、ユニバーサルデザインとして誰もが分かる色彩や形、方法論をさがせばいい。コミュニケーションのギャップを埋めるいいきっかけになると思う。

かわばたひろと/1964年、兵庫県生まれ、千葉県育ち。東京大学教養学部卒業。ノンフィクションの著作として『我々はなぜ我々だけなのか』『科学の最前線を切りひらく!』、小説に『夏のロケット』『エピデミック』『雲の王』『声のお仕事』など。
 

あづまえりか/1958年、千葉県生まれ。書評家。小説以外の優れた書籍を紹介するウェブサイト「HONZ」の副代表も務める。