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 いつしか瀬戸内は死への誘惑にとらわれるようになる。ある日、自分が暮らしていた高層マンションの部屋から飛び降りたい衝動に駆られた。そのとき書いた小説が『抱擁』。同じマンションに住む3人の女性が生きる虚しさから死の世界に引き込まれていく物語だった。

 51歳のとき、岩手県平泉の中尊寺に向かい、出家する。

「出家は生きながら死ぬことだと私は理解しましたから。そのときはもうこれで(作家としての)幕が引かれると思ってました。だからどこも書かせてくれない。それでもいいと勝手なことを自分に随分問い詰めました。だけど蓋を開けてみたらね、よけい仕事が来るようになって。いろんな仕事が発展しましたね。だから、自分で途中で命を絶つとか、何か自分を投げ出すということは、傲慢なんですよ。与えられた命は死ななきゃならないときがくるまで、精一杯に生きることが人間の務めだと思います」

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 瀬戸内は出家をしてから、とても「自由」になったと振り返っている。

「それまでも人様から見たら勝手なことして、ある意味で自由ですわね。だから自由に生きてきたつもりでしたけど、出家して、あっ、こんな、もっともっと無限の自由ってものがね、あるんだなってことを与えていただきました」

 出家するといろいろ拘束がありそうですが、という質問には次のように答えている。

「いろいろな戒律があって自由でないのではと思われるのですけれど、仏様というのは、そういうことも全部見通していらっしゃるので、もう何をしたって、仏様に見られる。仏は私を許してくれている。そういう感じなんです。だからとても自由です」

「人を救ってるなんてただの一度も思ったことない。救えるなんて思っていない」

 瀬戸内は出家してからも旺盛な執筆活動を続けた。一遍、良寛、西行を題材にした『花に問え』『手毬』『白道』の「出家者三部作」を発表。

 98年には6年がかりで取り組んだ

「源氏物語」の現代語訳を完成させる。女性に焦点を当てた新しい視点と読みやすい表現で200万部を超えるベストセラーになった。

「世界中が認めている『源氏物語』を日本人はほとんど読んでいないんです。こんな素晴らしい文化が1200年以上前にあったと。日本はこんなに素晴らしい国だっていう誇りを持ってもらいたかった」

 執筆活動の一方で続けたのが、京都に結んだ寺院・寂庵や住職を務める岩手県の天台寺で月に一度行う法話だった。波乱に満ちた人生経験から紡がれた言葉を聞くため、全国から世代を超えて多くの人が集まった。