1ページ目から読む
6/6ページ目

「私はもう人を救ってるなんてただの一度も思ったことないし、救えるなんて思っていません。ただまあ、一緒に付き合ってあげるということね、その苦しみに付き合うってことはできますよね」

 あるときはユーモラスに、あるときは情熱的に、あるときは切々と、瀬戸内は愛と苦しみ、生と死などについて語り続け、同時に人々が抱える苦しみに向き合ってきた。

「私たちは本当に一人で生まれてきて一人で死んでいくんですから、寂しいのは当たり前。自分が寂しいから、心を守る“木”になってくれる相手が欲しいし、自分が寂しいから肌で温め合う相手が欲しい。ですからやっぱり、解決してくれるものは愛ですね」

ADVERTISEMENT

 瀬戸内は晩年まで旺盛な執筆活動を続けた。80歳を過ぎた03年のインタビューでは、「最後に残った私の煩悩は小説を書きたいってことです」と語っている。小説、随筆にとどまらず、俳句、歌舞伎、能、狂言、オペラの台本も手がけた。若者に流行していたケータイ小説を匿名で執筆していたことも話題になった。瀬戸内が描いていたのは一貫して「愛」であり「人間」だった。

瀬戸内寂聴にとって「愛する」とはどんな意味があるのだろうか?

「愛するってのは、喜びと同時に苦しみが始まるものだと思うんです。でも、それでも、やっぱり人間は愛した方がいいと思うんです。愛するためにこの世に送り出されてきているし、親子の愛でも友情でも、何でもいいからとにかく、愛するために我々は生きている。文学というものはそれを描くものじゃないでしょうか」

「人間ってのはどうしようもないものですよね。これしちゃいけないとわかっていても悪いことをする。自分の心が自分で自由になりませんでしょう。あっち行っちゃいけないって、あっちには何か悪いものがあるよってわかってても行きたいでしょ。今日はお酒飲んじゃダメだよって思っても飲みたいでしょう。よその旦那さんだから惚れちゃいけないと思っても好きになったらね、そういうこともありますよ。だからね、もう本当しょうがないのね、人間は。そういうものを描くことも私は文学だと思うんです」

 88歳のときに腰椎を骨折。一時は歩くこともできなくなったが、その翌年に東日本大震災が発生すると、瀬戸内は病み上がりの身体を押して東北各地の被災者を訪ねてまわり、人々に寄り添い、励まし続けた。

「もう泣きたいときはね、泣いた方がいいのよ。泣くのが当たり前よ」

「どんなにつらいことも、それをバネにして、生きる。そういう力が、人間にはあるんです」

 90歳を超えても、反戦や平和を訴える社会活動に積極的に参加。がんを患った後は闘病体験を題材に長編小説『いのち』を書き上げた。愛と自由を求める女性の魂を書き続けた瀬戸内寂聴。自分の足で立ち、常に前に進む姿勢を貫き、どこまでも情熱的に生きた99年の生涯だった。

「やっぱり生きてるってことは情熱を燃え立たせてなければつまらないですね。生ぬるい生き方をしたくない」

道をひらく言葉: 昭和・平成を生き抜いた22人 (NHK出版新書 695)

NHK「あの人に会いたい」制作班

NHK出版

2023年2月10日 発売