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 緊張の理由はそればかりではない。30年のあいだには、機材トラブルなどハプニングもたびたびあった。それだけに生放送の怖さは身に沁みている。一昨年のインタビューでは、《最近は春と秋になると、テレビ画面が真っ暗になる放送事故が起こるとか、私の進行がグダグダでスタッフの方が計算に計算を重ねて作り上げた企画が台無しになるみたいな悪夢を見るのが恒例行事ですね。マネジャーから送られてくるスケジュール表に「感謝祭」の文字があるのを見ると緊張で胃が痛くなります》と、わりとシリアスな話もしていた(『週刊プレイボーイ』2021年10月18日号)。

 それでも『感謝祭』ではいろんなことも学んだという。司会を始めるにあたっては、出身地である高知の訛りがまだ抜けずにいたのを、クイズの問題文を読み上げるのにそれではいけないと、事前にアナウンサーに一から鍛え直された。

初の主演ドラマ『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(1989年)

中学卒業と同時に、高知から上京

 島崎の芸能界デビューのきっかけは、14歳のときに「ロッテ CMアイドルはキミだ!」というアイドルオーディションで準グランプリを受賞したことだ。CMデビューこそかなわなかったものの、このときの様子を見ていた現在の所属事務所の社長にスカウトされ、中学卒業と同時に高知から上京する。

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 事務所の寮で共同生活を始めたところ、高知よりテレビのチャンネル数が圧倒的に多いのがうれしくて、上京してから3ヵ月ぐらいずっとテレビを見ていたため、マネジャーに心配されたほどであった。このころよく見ていた番組のひとつが『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)である。高知では『ザ・ベストテン』(TBS系)と『ザ・トップテン』(日本テレビ系)を夢中になって見ていたが、同じ歌番組でも『夜ヒット』だけは放送されていなかったという。

『島崎和歌子 20th anniversary BOX』(2008年)

 歌番組で見ていたアイドルは、フリフリのスカートのイメージだったが、デビュー曲「弱っちゃうんだ」(1989年)の衣装は、本人いわく《なぜかバスガイドさんのような黄色のパンツスーツ》(『週刊ポスト』2021年5月7・14日号)。後年、一度でいいからフリフリのスカートをはいて歌いたかったと悔やんだが、そもそも彼女がデビューしたのはちょうど先にあげた歌番組が次々と終了していった時期で、アイドルの活動の場は減りつつあった。

歌手デビューしたものの、主戦場はバラエティ

 歌手デビューに先立ち、1989年1月に荻野目洋子主演のドラマ『こまらせないで!』(フジテレビ系)で俳優デビューも果たしている。このときの演技が評価されたのか、同じ局で半年後に始まった子供向けの特撮ドラマ『魔法少女ちゅうかないぱねま!』では主演に抜擢される。