2018年に東京都目黒区で起きた結愛ちゃんの虐待死事件の後、新聞の読者投稿欄で「あんなひどい親たちに育てられるくらいなら、私が育ててあげたかった。あの親には罰を与えて……」という内容の投稿を読んだ記憶があります。
子どもを殺め、傷つけた親を「厳しく罰したい」という強烈な処罰感情、「許せない」という思いは誰もが当然持つ感情でしょう。しかし、それだけでは、真実が見えません。その子の死も浮かばれません。
この家族には、父から母へのDVがあり、母は結愛ちゃんを守りたかったのに守れない状況にありました。
報告されている虐待死亡事例は年間約66件(第18次報告)です。虐待の年間相談対応件数が20万件とした場合、その割合は0.03%程度と推定されます。
しかし、怖いのは報道される死亡事件により「虐待」のイメージが固定化されてしまうことです。虐待通告などにより、児相と関係を持つようになった親たちも、自身がまるですでに「犯罪者」のレッテルを貼られているように感じます。しかし、子どもにとっては、大切な親であり続ける人たちなのです。その後も子どもと親の人生が続いていくのです。
親を罰するだけでは、何も始まらない
先に書いた春くんの親子もそうでした。静香さんは、自分が犯罪者のような虐待者だと社会から見られているのではないかと傷ついていました。そして、子どもを傷つけたことはあるけれど、自分自身を「虐待をした親」とは思っていませんでした。みなさんは静香さんを「加害者」として糾弾したくなるでしょうか。
子どもの安心安全を守るために、子どもに危害を与える親から、子どもを引き離す選択は間違ってはいません。しかし、果たしてそれだけで子どもは幸せになれるでしょうか。
親を罰するだけでは、何も始まりません。
「自分だけはこの子の味方でいたい」
「皆に可愛がってもらえたら」
「優しい子に育ってほしい」
「私みたいにならないで」
これらはこれまで私が出会った「虐待した」親たちの願いです。虐待を理由に子どもを保護された親たちは、実は「こんな親になりたい」、「こんな子どもに育ってほしい」という願いを持っているのです。しかし、外からその願いはなかなか見えません。実は、この願いこそ、親として育つための「種」です。
種を見つけ、それを一緒に育てる。
改めてこう書くと気づきます。種だけでは育たないことに。種を見つけ、「一緒」に育てる誰かが要るのです。
最初から子どもを傷つけようと思う親はいません。前述の親の中にある「種」を育てるために、分離することになった親と子に対して、離れた瞬間から親子関係再構築への支援が必要なのです。春くん親子のように。
この子どもと親に、いったい何があったのか。
まず、目の前の1組の親子を知る。そこからがスタートです。(#2に続く)