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何かがプツンと切れた瞬間

 生まれたての春くんを病院から自宅に連れ帰った時も、静香さんは1人でした。夫は宅配 の仕事の残業が続き、大切なその日も不在でした。

 自宅に帰ってからは1人での子育てが始まります。春くんは敏感な性格で、ちょっとした物音がしただけで泣いてしまいます。そしてミルクも上手に飲んでくれません。やっと飲んでくれたと思ったら、吐いてしまったり……。彼女は嘔吐物にまみれたベビー服を脱がせようとしますが、春くんは嫌がります。

「この子は私に嫌がらせをしている」

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 という思いを拭うことができず、静香さんは涙が止まりませんでした。どうしたらいいのかわからず、途方に暮れる静香さん。しかし、自分の親に相談することは絶対にできません。相談しても「あなたがちゃんとしていないから」「そもそも結婚に反対だった」と父母に怒られるだけです。

 春くんと2人だけで家にいることが怖くなり、日中はショッピングモールをウロウロすることが多くなりました。春くんは、ベビーカーの中では寝てくれるのです。それに外にいれ ば、あまり孤独も感じずに済みます。

 しかし、12月のある日のことでした。その日は特に寒い日で、ずっと外にいることはできませんでした。ショッピングモールから帰り、玄関に入って2人きりになった途端、春くんの「大泣き」が始まったのです。そして夫からの「何時に帰れるかわからない」とのLINE。静香さんの中の何かがプツンと切れ、激しい気持ちが一挙に春くんに向かいました。

 気がつくと布団をかぶせていました。

 プログラム開始当初、静香さんは春くんに大泣きされ、「この子は自分じゃなくて施設の先生がいいんだ……」と涙しました。

 前述の場面はプログラムでの親子交流時間や面会を重ねた末の瞬間でした。春くんと静香さんの人生にとって、1つの転機になった1コマだといえます。そして私たちはこの1コマの証人になりました。

「今日、誰を頼りにしたらいいの?」

 実は静香さんも、子ども時代にはそんな思いを抱えていました。良き「親」のモデルを、両親から学ぶことができなかったのです。しかし今、彼女は「春くんの話を聴いてあげられる親になりたい」と語ります。

虐待=犯罪者?

 虐待による死亡事件は、その残酷さが強調され、センセーショナルに扱われます。加害者である親を糾弾し、保護機関である児童相談所や市町村が対応を怠ったとし責任追及する構図がお決まりのものになっています。そして「犯罪」としての虐待の事実のみがクローズアップされます。

 多くの人は児童虐待の報道に接した時、虐待の内容があまりに残虐で、被害にあった子どもの日常を想像するだけで苦しくなり、目を背けたくなります。そして、これらの事件は自分とは違う世界のことと見なし、「世の中にはこんなひどい親がいるんだ」と眉をひそめ、それ以上そのニュースと関わろうとはしません。もしくは激しい憎悪を抱き、親だけでなく、命を守れなかった行政も強く糾弾します。

 報道された後、児相への苦情の電話が鳴りやまず、児相での日常業務がたちゆかなくなったという事例もよく聞かれます。