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 子どもにとっては、母親という存在が必要なのではありません。「安心できて頼りになる大人」が必要なのです。そうであれば、父親も同等に子どもを養育していけます。しかし、父親にはどうしても当事者意識がありません。「母親が落ち着けば……」とどこかよそ事に見えます。それでは母親は重責を抱えたままです。

 もちろん、父親が仕事をしなくては生活していくことは困難ではあるのですが、子どもが保護されるような危機的な状況であるのに父親不在のままでは、家に帰すことに危惧を覚えます。父親が仕事よりも子どもを優先できるような保障や仕組みができないものかと考えます。

「アタッチメントは母親だけではなく、家族や保育者、祖父母など、ある程度継続したかかわりを持った者の間で、複数同時に形成されるものです。このような実証的な結論を社会で共有していないと、(母)親だけがすべての人生を決めてしまうような、回復不可能な思い込みを抱えてしまいます。それは未来に向かっての変化も閉ざしてしまうのです」(数井 2018)

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「養育者としての父親はどうしているの?」この視点を支援者、そして社会で共有したいと思うのです。

複数の安心基地を持つ子ども

「自分が子どもの時には安心基地がなかった」

 これまで数多くの親御さんがそう打ち明けてくださいました。親たちは自身の子ども時代を思い出すと、自分がつらかった時にそこに頼れる大人がいなかったことに直面します。だから、安心基地のイメージが湧かないとも仰います。

写真はイメージ ©️AFLO

 そして、私たちが親子支援の活動をしていて、親の力を感じられるのは、

「自分だけでは、とても子どもの安心基地にはなれないから、誰かに助けてもらうしかないのだ」

 という親の言葉です。子どもにとって頼りになる誰かが必要なのだと認識し、自分にはなかった安心基地を、子どもにはつくってあげようとされることです。そして、自分の力だけでは難しい時には、自分以外の養育者(里親、施設職員等)の存在も認められることです。母親が自分だけでなく、子どもにとっての安心基地が他にもあるのだと認められること、それが子どもにとって何よりのギフトです。

 子どもにとっての安心基地は家庭だけではありません。施設の先生でも、里親さんでも、保育所の先生でも自分にとって特別な大人がいることは、複数の安心基地を子どもが持つことにつながるのです。

 ある母親は退所した後も、子どもにとって大切な大人だからと、施設の先生に連絡を取られていました。「カズマがユウコ先生に会いたがっているから。先生がいる時に会いに行ってもいいですか?」と電話をされたそうです。施設に入所していたことを無かったことにするのではなく、子どもが信頼できる大人とつながり続けるための行動をとる姿に、母としての器を感じ、嬉しくなります。