別離を選択することは難しい
近年、欧米ではDVの定義は、「『強圧的コントロール』という、脅迫、監視、貶め、コントロール、孤立、日常生活の統制などを含意する概念で説明されることが多くなっている」(増井 2022)とされています。
DVは身体的暴力だけを指すのではありません。家族を見る時に、母親へのDVが起こっていないか、という視点は子どもを守るために不可欠です。
DV被害を受けた母親たちは暴力を受けてもなぜ、加害者である夫やパートナーから離れないのでしょうか。「やはり、どうしてもあの母親には男性が必要なんだよね」「最後は子どもよりパートナー(男性)を選ぶんだよね」という、多くの支援者の方々のあきらめの言葉を何度聞いたことでしょう。DV被害者が加害者との別離を決意することの難しさを、私たちはしっかり自分たちの頭に叩き込まないといけません。
彼女たちが、「DVのサイクルに取り込まれること」「無力化され正当な判断ができなくなること」「別れることができないような脅しがなされている」(増井 2021)という状況の中で別離を選択することが、どれほど難しいのかと推測します。
以前私が出会った、背景にパートナーからのコントロールがあったのではないかと推測されるある母親は、おそらく、本当のことを言うと家族が崩壊すると思い、何も言うことができなかったという恐怖の中にいたのだと想像します。
それなのに、当時の私はその母親に対して、「パートナーからの暴力の事実を少しでも明らかにして真実を話してほしい、子どもを守ってほしい」と追い詰めたことがありました。当然、母は私に対して距離を置くようになりました。
ある児相でスーパーバイザーの立場にある方が、DV対応に苦悩している職員に向かって、「相手(DV加害者)はしつこい、こちらもそれに負けないくらいしつこく支援しよう。あきらめないようにしなきゃ」と助言をしているのを聞いて、横で頷いていました。
7回目だってあきらめない
アメリカのドラマに、「メイドの手帖」というDVを受けた母と子を描いた作品があります。そのドラマの中で、主人公が入所してるシェルターの仲間がDVをする彼の元へ戻っていく様子を見て、シェルターの所長が「(DVでパートナーと)決別するまでに7回は家出を繰り返す」と言う場面がありました。このフレーズには非常に説得力がありました。
ドラマの終盤では、DVの彼の元に行った友人に主人公が再会し声をかけます。しかし、彼女はその後、また彼の元へ去っていきます。主人公の女性は落胆します。その時シェルターの所長が、
「あなたに会い、ほんとうの自分を思い出したはず……」
と彼女を慰めます。あきらめないことが未来への希望につながることを、ドラマでは淡々と描いています。そこに支援の本質があるように思います。主人公の女性は、シェルター所長やさまざまな人との出会いにより、他者とのつながり、自分に起こっていることを理解していく中で、夫との決別を成し遂げ、自身の人生を3歳の娘と共に歩み始めることができたのです。