「平日はまず朝6時に朝練があった後、8時30分までに朝食や支度を済ませチャペルに集合します。そして9時から授業。昼食もろくに摂らず17時まで授業が詰まっていて、そこから食堂でピザやチキンといった食事をかきこんで、18時から練習。それも1時間くらいで、19時からはホームワークがありました。それが2時間くらい。で、21時から1時間だけがフリー時間。そこで体育館に行けたりするんですけど。でも22時になったらインターネットの回線も全部切られるんです。で、その後、生徒たちがちゃんと部屋にいるかどうか見回りに来るという」
意外だったのは、練習時間の短さと授業時間の長さ。福岡第一高校でのそれに比べれば、サウスケントスクールでの練習は楽に感じられた。でも、だからこそバスケットがより濃密に、楽しく感じられた。
「やっぱり派手な選手が多くて、自分より大きくて速い選手ばかり。いろいろな部分で劣っている自分がいるのですが、上手い選手をどうやってやっつけるかって考えるのが楽しかったですね」
欧米に渡った日本人選手は、当初パスを出してもらえないなど、相手にされないという話はよく聞く。並里も同じ目に遭ったが、それは想定内だった。
「最初はバカにされるんです。小さいしアジア人だし。でもシュートを決めたり、ドライブでかわしたり、技を見せるとすごい盛り上がってくれる。それが嬉しくて、無駄にいろんな技を見せていたかもしれません。ハンドリングも普通に抜くのではなくビハインドザバック(※6)したり、レッグスルー(※7)したり、スピン(※8)したり。パスも、しなくてもいいのにノールックパスしたり。でも、それでだんだん認めてもらっている感触がありました。練習後にみんなが寄ってきて『1対1しようぜ』とか『お前のあの技、どうやってやるんだよ』って声をかけてくれるんです」
そして、深いため息をつきながら言うのだ。
「唯一、楽しいのがバスケットの時間でした……」
小学生時から抱いていたNBAプレイヤーとなる夢。そこへ一歩一歩近づいている実感があった。バスケットも自分を認めてもらうまでに多少の時間を要したものの、想像通り楽しくてしかたがない。想定外だったのは、学業の方だった。
本当に自分がここにいて正しいのか
「学業はかなり難しかったです。もともとサウスケントスクールは、ハーバード大に進む生徒がいるほどレベルもかなり高かったみたいで。授業の中の一つに単語から教えてもらえる基礎英語のようなものがありましたが、それ以外の数学や歴史といった本格的な授業も全部英語。何を言っているのか全く分からないんです。しかも追い打ちをかけるようにホームワークが出る。ひたすら勉強に追われました」
授業形態は留学前から把握していた。サウスケントスクールは大学進学に足る学力を身につけるための学校だ。アメリカの大学へ進むためには、大学進学適性共通テスト(SAT)などで一定の成績をおさめなくてはならない。これが、日本では高校までバスケットボール一筋だった並里にとって、高い壁となった。しかも、当たり前だが授業も議論もテストも解答も、すべて英語なのだ。
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※1 ポイントガード バックコートからフロントコートへのボール運びや、フォーメーションの指示など、司令塔の役割を果たすポジション。ポジション番号は1番。
※2 ドライブ ドリブルで素早く攻め込むこと。
※3 ペネトレイト 瞬間的に加速したドリブルで、ディフェンスの間を突き抜けてゴールに進むこと。
※4 ダブルクラッチ 空中でタメを作ってタイミングをずらし、ディフェンスをかわして打つ高難度なシュート。
※5 ピックアップゲーム その場にいるメンバーで、即席でチームを作って行うゲームのこと。
※6 ビハインドザバック 自分の背中側にボールを通し、パスやドリブルをすること。
※7 レッグスルー 股下でボールをバウンドさせ両足の間を通し方向転換するドリブル。
※8 スピン 正式名称はスピンムーブ。身体を素早く360度回転させディフェンスをかわすドリブル。
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【並里 成(なみざと・なりと)】
1989年8月7日生まれ、沖縄県出身。福岡第一高校1年生時にウインターカップで優勝し、ベスト5に選出される。卒業後、スラムダンク奨学金第1期生として、2008年3月にサウスケントスクールに留学。09年に卒業し、帰国後は、リンク栃木ブレックス(JBL)、琉球ゴールデンキングス(bjリーグ)、大阪エヴェッサ(bjリーグ)、滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス・Bリーグ)に所属。18年に琉球(Bリーグ)に復帰。22年より群馬クレインサンダーズ(Bリーグ)に所属。ポイントガード。172cm、72kg。