『SLAM DUNK』の作者、井上雄彦さんが「バスケットボールというスポーツに恩返しがしたい」という想いのもと創設したスラムダンク奨学金。

 2008年に第1期生として派遣された並里成選手を始め、高校卒業後もプレイを続けたい有望な選手を何人もアメリカへ送り出してきた。現在は第17期生を選考中である。

 ここでは、この制度を活かしアメリカのプレップスクールに留学した奨学生14名へのインタビューをまとめた『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』(集英社)より、第3期生の矢代雪次郎選手のインタビューを一部抜粋して紹介する。

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 全国的に無名の自分がスラムダンク奨学生になれるとは——。矢代選手の合格は、その後のスラムダンク奨学金希望者に可能性という光を与えた。(全4回の3回目/続きを読む

矢代雪次郎さん 写真は取材当時(2020年10月)のものです。撮影/伊藤亮

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左手親指の靭帯断裂

 それはシーズン開幕を間近に控えた、2010年9月初頭の朝練習での出来事だった。1対1の練習で、相手は後にNBA入りするモーリス・ハークレス。懸命にディフェンスをしていたが、身長2mの巨体に押しこまれ倒れた。そして思わずコートについた左手を、もつれたハークレスが踏んでしまう。瞬間、親指に激痛が走った。しかし矢代雪次郎は痛みをこらえ、黙って練習を続けた。

「その時は必死だったので。その日の練習をやり終えて、次の日もその翌日も練習したんですが、患部が真っ青になり、しまいにはどす黒くなっちゃって。さすがに『痛い』と報告したら、コーチに『こんなになるまでなんで隠してたんだ。いつやった?』と。『3days ago』くらいの返事はしたと思うんですけど」

 チームドクターに病院へ連れて行ってもらった。結果は左手親指の靭帯断裂。すぐにでも手術が必要となったが、英語が理解できなかった矢代には分からない。

「ドクターに神妙な顔つきで『どんな気分だ?』と聞かれたので『は、なにが?』と聞き返したら『手術』だと。手術は『surgery』と言うんですが、僕は『operation』と思っていたので意味がよく分からず、辞書で調べてやっと理解した。そこからはもう、頭が真っ白でした」

 サウスケントスクールの体育館へ帰ると、チームメイトはまだ練習をしていた。彼らの練習を中断させ、チームドクターが報告をする。なにを伝えているか聞き取れなかったが、自分の手術のことを言っているであろうことは空気で感じた。

 みんなの前で、泣きに泣いた。

「泣き崩れました。留学期間は14か月。うちバスケのシーズンは9月から翌年3月まで。限られたシーズンの最初の数か月を棒に振ることが決まった。自分よりうまい奴相手に一から頑張ろうと思ってた矢先に出遅れることが決まったことの悔しさをはじめ、いろんな考えが頭をよぎりました」

 普段からかってきたり、嘲笑したりする選手も、この時ばかりはやさしい目でハグをして慰めてくれた。もちろんハークレスも。

「その間だけはすごい嬉しかった。アメリカ人てやさしいんだ、と。このチームなら復帰してからも、きっと安心してプレーできるって希望を持てたのが救いでした」