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信じてもらえなかった合格

 スラムダンク奨学金第1期生は並里成。第2期生は谷口大智と早川ジミー。いずれも世代別日本代表に名を連ねる、同世代の誰もが知るスター選手だ。一方、矢代は全国大会出場の経験はなし。流通経済大学付属柏高校時代は千葉県ベスト4が最高成績。正直、自分にとってスラムダンク奨学金は縁遠いものと決めつけていた。

 そんな彼の背中を押してくれたのは、両親だった。

「両親とも海外の文化が好きで憧れていて、家でも洋楽ばかり聞いていました。僕や兄貴をインターナショナルスクールに入学させようとしたこともあったらしいです。僕と兄貴が小学校の学童でバスケを始めて、NBAを観てアメリカに行きたいと言った時も反対されませんでしたし」

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 中学時代にスラムダンク奨学金の設立を知った時は、親と興奮して話した記憶がある。だが高校生になると部活に明け暮れた。目の前の日々に精一杯で将来のことなど考える余裕がない。高校2年の冬、スラムダンク奨学金第3期生の応募締切1週間前になっても、乗り気ではなかった。気にはしていたが、毎日の生活に疲れ切っていた。

「でも母親に『応募は無料だし、受けるのは自由だし、落ちて元々でしょ』と言われて。納得してすぐに知り合いに新人戦のプレーを編集したDVDを作成してもらい、僕はとにかくアメリカへの想いを作文2ページにまとめて。あの時だけは徹夜しました」

 小学校6年生の時に、20歳の自分へ手紙を書く機会があった。そこには「アメリカに留学することと、NBAに入ることが夢です。今は絶対にアメリカに行っていると思います」と幼い字で書いた。小学生時からバスケットの延長線上にあったアメリカへの憧れ。その後漠然としたままだったが、この時だけははっきり蘇った。

 とはいえ、奨学生に選ばれる自信はなかった。だから、まさかの合格を知った瞬間を今でも鮮明に憶えている。

「高校3年の春になってすぐ、部活の帰りで仲間と自転車で走っている時に、母親から携帯電話に着信があったんです。母親からはめったに電話がかかってこなかったので、少し驚いて出たら『集英社から電話がかかってきて、合格した』と。それはもうびっくり。その場でいっしょにいた仲間に伝えたら『出た出た、噓だろ?』って笑われました」

 応募したことは周囲の誰にも伝えていなかった。だから合格を誰にも信じてもらえなかった。次の日も、その次の日も。『月刊バスケットボール』で紹介されて、初めて信じてもらえたという。

「めちゃめちゃ嬉しかったですね。進路のことを考えても、付属の大学に進んでもバスケの強豪ではない。他の大学へ行くにも学力もないし実績もなかった。実力のある大学から声はかかっていませんでした。あのまま日本にいたら大学へ進学しなかったかもしれない。大きなターニングポイントでした」