分からないことだらけ
合格通知から留学までの約1年間の時間。その間は、語学学校のアテネ・フランセに通い、ひたすら英語の習得に努めた。
しかし、実際にサウスケントスクールへ入学すると、分からないことだらけだった。英語の発音からして全く違う。
「ラネールっていう名前のチームメイトがいたんですけど、僕が呼ぶとみんなが爆笑するんです。何回言い直しても笑われる。僕はL発音しかできずR発音ができなかった。現地ではこの二つの発音が全く違う。何十回と言ってたら『それが正解だ!』と言われたんですけど、なにが違ってなにが正しいのかも分かりませんでした」
バスケットも戸惑いばかり。ポジションはガードだが、高校まではどちらかというと好き勝手にプレーしていた。
「システマチックなバスケすら知らずにアメリカへ渡ったので、いろんな面で苦労しました。コーチにはガードとしてコールなどを求められましたが、やり方も知らなければ英語もしゃべれない。それなのに結構できると思っている自分がいました。今ならサウスケントのレベルの高さが分かります。でも、当時は単に無知すぎてレベル差を感じ取れなかったのか、感じていたけど感じないようにしていたのか、とにかく気づけていませんでした」
最も恐れたことは、チームから孤立すること。そうならないために、自分から仕掛けて話題を振りまいた。
「日本から持参した甚平をプレゼントしたり、日本語でクリスマスの歌を歌ったり、おかしなダンスをしたり。すごく笑われるんですけど、徐々に『ユキっておもしろいじゃん』とかまってくれるようになって。最初は恥ずかしかったですけど、自ら話題を作ればコミュニケーションがとれる。そのためにはプライドも全部捨ててピエロになろうと」
1年前には、高校の最上級生として後輩を厳しく指導していた。自分からふざけたことなんてなかった。
なのに今はピエロに徹している。しかも、そんな自分が意外と嫌じゃない。
「もう自分の本当の性格も分からなくなっちゃいました。文化も違えば感覚も全然違う。笑われることも新鮮で。日本で後輩に厳しくあたる自分、アメリカでピエロになっている自分。自分のなかにもいろんな面があるんだと」
スラムダンク奨学生の偉大な先輩たちはディビジョン1(D1)の大学に進めるだろうと思っていたが、進めていない。それはバスケットの実力なのか、英語の壁なのか、どちらともなのか。
では、バスケットの実力も劣り、英語も話せない自分はどうすべきなのか。そんな不安と悩みに挟まれながら、とにかく取り残されないためにもがいた。そしていよいよ勝負のシーズンが始まる、その直前に待っていたのが大ケガだったのだ。
困難に直面したスラムダンク奨学生たちが見出した、挑戦することの意味や価値とは――。『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』は集英社より発売中。
◆◆◆
【矢代雪次郎(やしろ・ゆきじろう)】
1992年2月15日生まれ、千葉県出身。流通経済大学付属柏高校卒業後、2010年スラムダンク奨学金第3期生として、サウスケントスクールに入学。11年アリゾナウエスタン大学(2年制)に入学、12年にアラン・ハンコック大学(2年制)を経て、14年にベサニー大学(4年制)に編入。帰国後16年に群馬クレインサンダーズ (Bリーグ)に選手兼通訳として入団。以後、17年愛媛オレンジバイキングス(Bリーグ)、19年香川ファイブアローズ(Bリーグ)、20年仙台89ERS(Bリーグ)、21年再び香川で通訳と選手を兼任。22年よりアシスタントジェネラルマネージャーも兼任。ポイントガード、シューティングガード。177cm、79kg。