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「最初はバカにされるんです。小さいしアジア人だし」“スラムダンク奨学金”1期生がアメリカで直面した、想定外の高い壁

「最初はバカにされるんです。小さいしアジア人だし」“スラムダンク奨学金”1期生がアメリカで直面した、想定外の高い壁

『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』より#1 並里成選手編

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 並里成には、憧れを憧れのまま終わらすのではなく、実現するために動く行動力があった。そして道筋も考えていた。だが、高校卒業後の具体的な道筋までは考えられなかった。

「それまでは『アメリカに挑戦したい』と口では言っていたものの、コネクションもなく、どうしたらいいのか分からなかったんです。決めていたのは日本の大学には行かずに海外に出よう、ということだけ。でも、そんなタイミングでスラムダンク奨学金設立の話が出て。“井上先生、これからこんなこともやるんだ”と不思議な感覚も覚えつつ、まるで自分のタイミングに合わせて設立されたような気もして。本当にパーフェクトなタイミングでした。だからすごく感謝しているんです」

トライアウトで相対したのは後のNBAプレイヤー

 スラムダンク奨学金と出会った時点で、「並里成」の名前は全国区になっていた。強豪・福岡第一高校で1年からポイントガード(※1)としてレギュラーを勝ち取り、いきなり高校バスケット界の頂点を決めるウインターカップ制覇。大会ベスト5にも選ばれた。身長172㎝と上背はないが、類まれなクイックネスを持っていた。当時の映像を見れば一目瞭然だが、抜群のスピードに複雑なフェイントを組み込んだドライブ(※2)に、相手はディフェンスどころか、ファウルすらできない。まさに「手が付けられない」とはこのことだ。一瞬の爆発的なスピードと豊富なイマジネーション。いったい次にどんな技が飛び出すのか予想できないプレースタイルは「ファンタジスタ」と呼ばれるほどだった。

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 そしてもう一つ、漲っていたのが自信だ。派手なペネトレイト(※3)やダブルクラッチ(※4)を決めた後に拳で胸を何度も叩きアピールする。

「自信に満ちた表現を、あえてしていたのはあります。そうすることによってさらに自信が増幅され、どんどん調子に乗っていくという。特に高校1年で出たウインターカップは自信になりました。その後もインターハイや国体などで強豪チームと対戦するたびに、相手のプレーを見るじゃないですか。その時に“この選手ならマッチアップしても倒せるな”という感覚が生まれるようになりました」

 ビッグマウスではない。たしかにそう言い切れるほど、当時の高校バスケット界で並里の実力は抜きん出ていた。

 そんな実力者がスラムダンク奨学金に応募したのだから、書類選考はスムーズに通過した。その後、最終選考として現地でのトライアウトに参加することになる。並里は高校3年になった2007年の10月、アメリカはコネチカット州にある留学先のサウスケントスクールに飛んだ。

 そして最終トライアウトで相対したのが、後にNBAプレイヤーとなるアイザイア・トーマス(2011年サクラメント・キングス入団)だった。

「最終トライアウトの時は、やってみるまで合格する自信はなかったんです。それで実際行ってみたら、アイザイア・トーマスとディオン・ウェイターズ(2012年クリーブランド・キャバリアーズ入団)がいたことをバッチリ覚えています。トライアウトはピックアップゲーム(※5)形式だったのですが、アイザイア・トーマスとは同じポジションだったのでマッチアップすることに。同じサイズの選手で初めて自分よりも上手い選手を目の当たりにして衝撃でした。なので、最初は雰囲気にも慣れず消極的なプレーが続いていたんですが、勝負している相手なのに彼が『もっとシュート打てよ』『どんどんいけよ』などとパッと声をかけてくれた。おかげでトライアウト後半は自分のリズムもつかめたし、合格する手ごたえは得ていました」

 トライアウト終了直後にヘッドコーチから賞賛され、校長先生も視察に訪れ喜んでいる様子だった。「ぜひうちに来てほしい」。「また会えるのを待っているから」。そう声をかけられたことで合格を確信したという。だから合格が通知された時のことは覚えていない。アイザイア・トーマスやディオン・ウェイターズといった、とんでもない実力者といっしょにバスケットができる。既に“次に渡米するのはいつになるのだろう”という方に気持ちが向いていた。

留学中に「身体を強くしよう」と励んだ筋力トレーニング。そのフィジカルの強さは今に通じる。 撮影/伊藤 亮

想定通り楽しかったアメリカのバスケット

 見事スラムダンク奨学金第1期生に選ばれた並里成は、高校3年時にウインターカップ準優勝&自身2度目となる大会ベスト5という成績を残して、2008年3月、日本を飛び出した。18歳以下の日本代表に選ばれた時にアメリカ遠征は経験していたが、14か月に及ぶ海外長期留学は初体験となる。

「NBAに近いアメリカに行ける。今までは観るだけだったNBAだけど、これから行くサウスケントスクールには、ゆくゆくNBAプレイヤーになる選手がいるだろうから、絶対バスケットが楽しくなる。がんばるぞ! と思いつつ、言葉の壁、文化の違い、日本人一人という環境に不安もありました」

 寮の部屋は二人一部屋。最初は韓国から来た留学生と同部屋だった。彼は普通にアメリカの大学へ進学を希望して、学業のために来ていた。バスケット選手でアジア人は並里ただ一人だったのだ。