スマホを見ると、何やら新しいグループが作成されたという通知があった。心当たりがなく、「なんだろう?」と思いながらタップするとグループ名が表示される。
「女流ABEMAトーナメント2023」
メンバーは伊藤沙恵女流名人(当時)と香川愛生女流四段とわたしの3人が入っていた。
選ばれたのか!という驚きと、おもしろいメンバーだな、というのが見た瞬間の感想だった。
小さくて、ふわふわとした髪の毛だった「沙恵ちゃん」
リーダーの沙恵ちゃんと初めて会ったのは、おそらく彼女が小学校に入る前だったと思う。
小学生の頃、私は将棋会館の2階にある道場で、沙恵ちゃんの5歳年上のお兄さんとよく将棋を指していた。お兄さんと私は同い年で、何年も同じ空間を共有していた。将棋キッズの中では性格は穏やかで、四間飛車に対して棒銀を好み、そのまま攻め潰すというよりは、相手の手に丁寧な対応をしていたような、おぼろげな思い出がある。
そのお兄さんの後ろにいつもついていたのが、沙恵ちゃん。小さくて、ふわふわとした髪の毛をしていて、とても可愛かった。あれから20年以上が経っているけれど、その頃のイメージがいつまでもあって、私はつい「沙恵ちゃん」と呼んでしまう。
将棋は何と言っても受けが強い。
女流棋士になってすぐの頃は、どんどん玉が相手の陣地に入っていき、入玉をして勝つことが多かった。入玉形が苦手な私は感心して「入玉上手いよねー!」と沙恵ちゃんに言ったら、「でも疲れますよ」と笑って返された。
ひときわヤンチャだった「香川ちゃん」
香川ちゃんを初めて見たのは、彼女が小学校4、5年生くらいだったのだろうか、将棋連盟の教室に通っていた時である。
幼馴染の渡辺和史五段、谷合廣紀四段と横並びで大人に混じって指導対局を受けていた。その3人の中で、ひときわヤンチャだった(と私が思った)のは香川ちゃんで、同じくヤンチャだった私は、ちょっとした親近感を持っていた。
その後3人は切磋琢磨し合い、棋士と女流棋士になった。激しい競争の中で幼馴染の3人ともが将棋界で生きているというのはとても珍しい。
私が小学生の頃に一緒に将棋を指していた子のほとんどは棋士にはなれなかった。
沙恵ちゃんのお兄さんから「先生(将棋界ではよく相手のことをこう呼ぶ)は我々の出世頭だから」と言われたのを、いつまでも忘れられない。頑張らなきゃいけないよね。