結局、菅野はファイターズとの契約を拒否して1年間浪人する道を選び、そののち、念願のジャイアンツ入りを果たした。
菅野獲得の大博打に敗れたにもかかわらず、ファイターズはそれでも一筋の望みにかけて大谷指名の強行を選んだ。
ファイターズのスカウトである大渕は、何年にもわたり、大谷を見続けていた。大渕は投手と打者の両方の大谷に惚れ込んでいたのだ。
「大谷がわれわれのドラフト1位候補なのは明らかで、ちゃんと成長すれば一流の選手になれるという確信がありましたよ」
何年も経ってから、大渕が当時を振り返った。
ファイターズが大谷に行った説得とは
そして、ファイターズは大谷を指名した。しかし、そのあとアメリカ行きを志す大谷をいかに説得して契約に持ち込めばいいのか、難題が控えていた。
大谷の説得作業は1カ月近く続いた。
GMの山田正雄率いる日本ハムファイターズのフロントは、ファイターズがアメリカよりもいかにいい環境を提供できるのかを切々と説いた。
日本なら直接いちばん高いレベル、つまり一軍にはすぐ上がれる可能性が非常に高いが、アメリカ行きを選べば、間違いなく最初はマイナー生活となるだろう。
ファイターズは、アメリカのマイナーリーガーがいかに過酷な生活を送っているかを示す映像を大谷に見せた。貧相な宿に泊まり小さな町を転々として、長時間のバス移動に耐えなければならない。そして、日本人の彼女を現地で見つけることがいかに困難かも説いたという。
「君は間違いなくメジャーリーグに行けるが、日本ハムでキャリアを始めてこそメジャーへの近道になり、球団もその手助けができる」
ファイターズは大谷にそう説き、さらにこう続けた。
「日本のプロ野球でキャリアを始めて、そのあとメジャーへ行ったほうが成功しやすい」
そして、そんな選手たちの成績を一覧表にして見せた。さらにダメ押しで、ファイターズは背番号11、つまりはダルビッシュ有がつけていた番号まで提示した。まさに大谷が幼いころから憧れていた偉大な選手だ。
そんな熱心な説得にも、大谷はほとんど感情を見せることがなかった。大渕は当時を振り返る。
「あれは困難な交渉でしたよ。高校生ではなく、まるで1人の大人と対峙しているような感じでしたから。そういう意味で、彼はものすごく賢い子です」
ファイターズ首脳陣が大谷説得のために提示した“究極のカード”
ファイターズとこのような道をつくり上げたことにより、大渕はその5年後に大谷がアメリカを目指すときにも大きな役割を果たすことになる。
山田と大渕、そしてファイターズ首脳陣が大谷の説得に当たるなか、球団は究極のカードを提示した。
メジャー各球団とそのほかのNPB球団すべてが大谷に投手専念を求めるなか、ファイターズは投手と打者の二刀流を容認すると断言したのだ。