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 大谷本人が後年語ったところによると、ファイターズが交渉の席でこの話を持ち出すまでは、そんなことは考えたことすらなかったという。プロ球団ならどこであれ、自分自身にマウンドに登ることだけを求めるものだと思い込んでいた。

 ファイターズは、あらゆる叡智(えいち)を持ち込み、大谷が断り切れない魅力的な提案を出してきたということだ。

 太平洋両岸のすべてのプロ関係者と同じく、大渕もまさか1人の選手が投手と打者の両方に時間を割いてトップレベルで成功できるとは、到底信じられなかった。

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高校時代の初々しい大谷翔平 ©文藝春秋

「大谷こそ、私のすべてのものの見方を変えてしまった男」

 そんなときに大谷の姿を見て、考えを変えたのだ。

「もし、ある人があらゆることのできる能力を備えているならば、私たちは彼に備わる才能を見極めて、技量を高める手助けをしなければなりません。ミケランジェロとかアインシュタインみたいなものですよ。ああいう人は芸術も科学も、すべてをこなすことができるのですから。

 1人のスカウトとして、私は選手の力量を見定めて本当にこの男がプロでやっていけるのかを判断しなければなりません。そして大谷こそ、私のすべてのものの見方を変えてしまった男でした」

SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』(徳間書店)

 大渕とファイターズ一同は、この男なら、今まで誰も考えたことも挑戦したことすらないことでも達成できると信じた。そしてファイターズは、大谷に打撃と投手、両方をやらせるというかたちで、新しい歴史をつくる機会を提供することに決めた。

 それを受けて、大谷は納得した。メジャーリーグは、しばらくお預けだ。