3月8日に開幕した第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。侍JAPANは圧倒的な実力を見せ、1次ラウンドを無敗で1位通過した。国内外から豪華メンバーが集結した日本代表選手たちの中でも、特に期待されているのが大谷翔平選手(28)だ。
ここでは、そんな大谷選手のこれまでの軌跡を記した、エンゼルスの番記者、ジェフ・フレッチャー氏の著書『SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』(タカ大丸 訳、徳間書店)から一部を抜粋。大谷選手が高校時代に語っていた“目標”を紹介する。(全4回の4回目/3回目から続く)
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高校時代は地元で伝説的な存在に
大谷は頭角を現し、肉体面の充実と試合での圧倒的パフォーマンスも加わって、地元ではすでに伝説的な存在になっていた。
しかし、花巻東高校の佐々木洋監督は生徒たちに謙虚であり続けることを求めた。彼の定めたプログラムに参加する者は、1年の大部分を寮で暮らし、それぞれに施設の維持のための作業を割り振られていた。
大谷を含む投手たちには、トイレ掃除の役割があった。
これは、彼らが球場を離れても、1人の人間として地に足をつけてやっていけるように成長することを意図していた。
「投手、それも翔平の場合は、文字どおりの球場のいちばん高いマウンドに立っていたわけです。まさに山頂に立つのと同じですが、それ以外の時間は、『みんながいちばん嫌がる仕事をしなさい』と私はいつも説いていました。そして、翔平が不満をもらすことはありませんでした」
球場において、大谷は間違いなく一身に注目を集める存在だった。
日米のプロ野球界から寄せられる熱い視線
次第に地元だけではなく、日本のプロ野球界からも熱い視線を寄せられるようになった。また、身長193センチメートルで160キロの速球を投げられる投手なのだから、その話はアメリカにさえも届いていた。
ロサンゼルス・ドジャース、テキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、ニューヨーク・ヤンキース、サンフランシスコ・ジャイアンツが、若き大谷獲得に乗り出した。実は、このような騒動さえも佐々木にとっては目新しい事態ではなかった。
数年前に、花巻東高校の躍進に大きく貢献した菊池雄星の周りで同じようなことがあったからだ。メジャー8球団、そしてNPBの全球団が、菊池獲得のために面談に臨んでいた。