競馬界のレジェンド・騎手の武豊がきょう3月15日、54歳の誕生日を迎えた。先月4日には、前人未踏のJRA通算4400勝を達成したばかり。昨年には、20代・30代・40代に続き、史上最年長となる50代での日本ダービー制覇も成し遂げている。ダービー制覇はこれで6度目で、自身の持つ最多記録も更新した。昨年はまた、スマホを初めて持ったこともちょっと話題になった。これはコロナ禍のなか香港でのレースに出場した際、現地の飲食店に入るのに専用アプリの提示が必須だったためである。
武豊は1969年、やはり騎手だった武邦彦の三男として京都に生まれた。3歳で中央競馬の調教拠点・栗東トレーニングセンターのある滋賀県栗東市に転居し、そこで中学卒業まですごす。母校である同市立金勝(こんぜ)小学校は、生徒の半分が競馬関係者の子供だった。運動会も、競馬の開催される日曜では関係者の親は見に来られないため、1年置きに月曜に行われていた。競技中には「差せーーッ!」とか「逃げきれーーッ!」といったかけ声が飛び交ったとか(『週刊現代』2010年9月18日号)。
小学5年で乗馬を始めた
父の背中を見て育った武は、自然と騎手を志すようになる。小学5年で乗馬を始め、中学卒業とともに千葉県白井町(現・白井市)にある競馬学校に入学した。全寮制で、朝から晩まで騎乗の訓練に勉強、そして馬の世話と馬漬けの厳しい日々を経て、卒業を前に騎手免許試験に合格する。
デビュー戦は18歳になる2週間前の1987年3月1日。このときは2着に敗れたとはいえ、年間を通して69勝という新人最多勝利記録をあげる。折しも芸能界などで2世が注目されていた時期で、武にもデビュー当初は「往年の名ジョッキー・武邦彦のジュニア」というレッテルがつきまとった。だが、新人記録に続き、翌年には早くも菊花賞を制してJRAのG1初勝利を収め、実力でそのレッテルをぬぐい去る。
以来、「最年少」「史上最速」といった記録のほぼすべてを次々と塗り替えていった。JRAでの通算勝利数は1995年に1000勝、2002年に2000勝と、いずれも史上最速・最年少で達成する。2007年には、通算2944勝に到達して岡部幸雄の歴代最多勝記録を抜き、その年のうちに3000勝まで伸ばした。
馬券売り場で「タケユタカ、ください」
奇しくも武がデビューした1987年、日本中央競馬会はJRAという略称を制定する。それと同時に、従来の博打というイメージを変えるべく競馬のエンターテインメント化が図られ、積極的にテレビCMを出すなどファン層の拡大に力を入れるようになった。