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 人気を逸した騎手は質のいい馬にも乗せてもらえない。それもあって勝利数はみるみる落ち、それまで年間200勝は当たり前だったのが、2010年は69勝、2011年は64勝、さらに2012年には56勝とデビュー以来最低を記録した。引退説がメディアを賑わしたのもこのころだ。本人にはその気はまったくなかったが、ズルズル行ったら本当にこのまま終わってしまうと強い危機感を抱く。ここから一念発起して、考え方をすべて変えることにした。新人時代のように、これではいけないなと気づいたことを一つずつ修正し、トレーニングのやり方も、新たに理学療法士をつけるなどしてガラリと改めた。

スランプから浮上できたわけ

 絶対に復帰すると躍起になり、肩の痛みも完全に消えたころ、出会ったのがキズナという馬だった。2012年暮れ、翌年年明けとレースで騎乗して結果こそ出せなかったものの、手応えを感じた武は、キズナで勝ってすべてを断ち切りたいと腹をくくり、2013年3月、3年前に落馬した因縁の毎日杯で優勝。ここでついに呪縛から解かれると、5月のダービーでもキズナに乗って見事8年ぶりの制覇を果たす。レース後の勝利騎手インタビューでは「僕は、帰ってきました!」と思わず口について出た。これに14万人近いファンが「お帰りー!」と応えた。

©文藝春秋

 武を20代の頃から取材してきたライターの島田明宏は、彼が不振から浮上するきっかけを見逃さずにつかめたのは、根っからの「競馬ファン」ゆえ競馬を嫌いにならなかったからだと書く(『週刊東洋経済』2016年11月26日号)。自身が騎乗したディープインパクトについても《たくさんの人が遠くからディープを見に来るのに、僕は触れて、乗ることができるんだから、いい役回りだなと思いました》と語ったというのが(同上)、いかにも無邪気なファンっぽい。

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 武は20歳だった1989年の米国遠征以来、海外のレースにも積極的に参加してきた。1994年にはフランスのムーラン・ド・ロンシャン賞で優勝し、日本人で初めて海外のG1レースを制した。前出のディープインパクトやキズナとは、フランスで行われる世界的な大レースである凱旋門賞にも出場している。

ディープインパクトと武豊騎手 ©文藝春秋

「凱旋門賞を勝ったら騎手を辞めるか」と訊かれて…

 10度目の凱旋門賞へのトライとなった昨年は、その年にダービーを制したときと同じくドウデュースに騎乗して出場するも、19着と大敗を喫した。それでも武は《厳しい戦いになるとわかっていても、日本のレースのほうが明らかにチャンスがあって賞金が高くても、凱旋門賞は行きたくなるレース、トライしたくなるレースなんです。負けたあと「来年こそは」と毎回思っています》と熱っぽく語っている(『サンデー毎日』2023年1月1・8日号)。

 これはミュージシャンのDAIGO(テレビの競馬番組のMCを務める)との対談での発言だが、その席上、司会を務めたフリーアナウンサーの福原直英から「凱旋門賞を勝ったら騎手を辞めますか?」と訊かれた武は、《いえ、当然連覇を目指します(笑)》と答え、《まだまだ足りないですよ。凱旋門賞だけでなく、アメリカのGIも勝ちたいし、日本国内のGIもコンプリートしたいと思っています(※残るはホープフルSのみ)。もちろん、ダービーも有馬記念も毎年勝ちたいです》と、なおも尽きない勝利への欲を示した。