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《僕はその流れにすごく乗せてもらいました》と武はのちに述べているが(『文藝春秋』2019年1月号)、彼の実力と魅力が新たなファンを引き寄せ、90年代初めに競馬ブームを起こしたともいえる。このころ、馬券の購入窓口で、若い女性ファンが千円札を手にして「タケユタカ、ください」といきなり言い、窓口のスタッフを呆然とさせたという話もある。そればかりか、当時の武は、ファンが家の前や移動先の駅にしょっちゅう出待ちしていて、キャーキャー言われていた。

スペシャルウィークと武豊騎手 ©文藝春秋

 しかし、本人はそんなふうにもてはやされることを冷静に見ていた。当時の雑誌記事では、《騎手は、なんとなく芸能人に似ていると思いますね。ひとついい仕事をすると、ワーッと新しい仕事がくるでしょう。反対にひとつつまずくと、仕事がだんだんこなくなって、腕も落ちるし、名前も売れなくなる。ぼくもいまは騒がれてるけど、ちょうど少年隊のあとに光GENJIが出てきたみたいに、ぼくのあとにもっとすごいのが現れたら、こんなに騎乗依頼はこなくなると思うんです。やっぱりこのまま順調にいくのかなという不安はありますよ》と語っていた(『潮』1991年2月号)。

 武はインタビューなどで、「騎手というのは勝つことよりも負けることが圧倒的に多い職業だ」という話をよくしている。18頭立てのレースであれば17頭が負けるので、極端な話「負けるのが普通」ともいえる。4000勝している彼でさえ1万7000回以上のレースでは負けているのだ。そのなかにはハナ差で2着になるなど「悔しい負け」も何度となく経験している。

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引退説が出たほどの「危機」

 10年ほど前には、引退かとマスコミに騒がれるような危機にも陥った。それは41歳になったばかりの2010年3月27日、阪神競馬場での毎日杯で落馬して肩に大ケガを負ったときのこと。それまでにも何度かケガでしばらく戦線を離脱したことはあったが、このときは復帰まで4ヵ月以上かかった。治療とリハビリに専念したこの期間は、とにかく長く感じられたという。それでも8月に復帰し、5戦目にして勝利をあげる。

 だが、本当の苦しみはここからだった。体の調子がなかなか戻らず、結果を出せない状態が続いた。ここで武はデビュー以来初めて、周囲からどんどん人が離れていくという経験を味わう。先に引用した若き日に抱いた心配が現実のものになってしまったのだ。のちに彼は次のように当時を省みている。

北島三郎氏の愛馬・キタサンブラックと武豊騎手 ©文藝春秋

《ジョッキーって、騎乗依頼が来なければどうしようもない。お店やってるのと一緒で、お客さんが来ないと、収入は上がりません。契約金があるわけでもないので、レースに乗って、上位に入ったら賞金をもらえるという、それだけ。ジョッキーはいっぱいいて、馬を持ってる馬主さん、管理してる調教師さんが、何月何日の第何レースに誰を乗せるか。たくさんいるジョッキーの中から選ぶわけですが、そこで僕に声がかからない。トップジョッキーはすでに埋まっていて、じゃあ次、となるわけですが、それでも全然声がかからない。ええーって思いましたね。そういうサイクルになると、余計に結果が悪くなる》(『Number』2020年4月16日号)