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「笘篠は野村さんに『大きいのを狙うな。脇役に徹するつもりでバットを短く持ってコツコツ当てていけ』と言われたことに反発して、バットを長く持って振り回していました。何度言っても聞く耳を持たない笘篠に野村さんは業を煮やし、ナゴヤ球場での中日戦で笘篠がいつも通りバットを長く持って打席に立っている姿を見て、

『笘篠! バットを短く持てって言っているのがわからないのか!』

 と三塁側のベンチから怒鳴ったんです。野村さんのあまりの剣幕に、三塁側のベンチはもちろんのこと、相手の中日のベンチも『何が起きたんだ?』と驚いていました」

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 これで笘篠もバットを短く持つかと思いきや、バットを長く持ち続けた。以降、野村は笘篠に見切りをつけ、セカンドのレギュラーの座を追われてしまう。

 栗山についても野村は例外なく辛辣に評価していた。だが、橋上の目には栗山はチームに献身的にプレーしているように映っていた。

「私の目から見ても、栗山さんは関根監督時代と同じようにガッツあふれるプレーをしていたように見えましたし、野村さんにとっても使い勝手のいい選手のように思えた。それだけに、辛口の評価をしていたのはなぜだろう? と頭の中はクエスチョンマークでいっぱいでした」

若かりし頃の栗山英樹監督(1995年)

 橋上と同じことはヤクルトの他のチームメイトも同様に考えていた。ある選手は、「栗山さんが国立大卒なのを、監督は気に食わないんじゃないのか」と言う者もいれば、「女性人気が高く、イケメンなのが気に食わないんじゃないか」と口さがないことを言う者までいた。

 だが、理由が不明確なことを理不尽に思っていたのは当の栗山本人だった。シーズンが進むにつれて、野村と栗山の間にすきま風が吹くようになった。

「笘篠は野村さんに反発しましたが、栗山さんは反発せずに距離を置いてしまった。人格者の栗山さんでなければキレてしまってもおかしくなかったと思います」

 06年に野村が楽天の監督に就任したとき、橋上は野村の下で3年間、ヘッドコーチを務めた。このとき野村と行動を共にすることが多く、多岐にわたって話をする機会があった。あるとき、当時の栗山の起用法について野村に訊ねたことがあったが、核心を突いた答えが返って来なかったと言う。

引退後は片や監督、片やヘッドコーチとして他球団で活躍

 野村の監督就任1年目の90年、最終戦が終わった翌日、橋上はスポーツ紙を見て驚いた。栗山がこの年限りで引退することを知ったからである。まだ29歳だった。

栗山英樹監督(2003年) ©文藝春秋

「当時は栗山さんが引退することを、チームメイトの全員が知りませんでした。すぐに栗山さんの自宅に電話して『本当に辞められるのですか?』と聞くと、『体が悲鳴を上げて限界だったんだよ』と話してくれたんです。いろいろ思うところもありましたが、ギリギリのところで野球をやっていたんだなと、ねぎらいの気持ちを持ったのと同時に、心底残念に思いました」