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 以降、栗山はテレビ朝日の野球解説者やスポーツジャーナリストとして活躍する一方、白鷗大学の教授としても活動していた。12年より日本ハムの監督に就任して以降、21年までの10年間で、リーグ優勝2回、日本一1回を果たした。

 一方の橋上は野村野球のイロハを学び、92年、93年のリーグ優勝、93年の日本一に貢献。その後日本ハム、阪神を経て2000年限りで現役を引退。その後05年から09年まで指導者として楽天のユニフォームに袖を通すと、12年から巨人の戦略コーチに就任。この年、巨人は3年ぶり34度目のリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは栗山率いる日本ハムを破り3年ぶり22度目の日本一を達成した。その後、13年、14年とリーグ3連覇を果たし、15年から楽天の一軍ヘッドコーチとして大久保博元監督を支えた。そして冒頭の栗山との会話へとつながるのである。

橋上氏 ©時事通信社

栗山が貫き通した信念

 実はこの年のシーズン中に、栗山は橋上にこんな相談を持ち掛けていた。1つは「中田翔を4番で使い続けるべきか」、もう1つは「大谷翔平を二刀流で起用し続けるべきか」ということだった。

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 栗山が中田を4番に据えた当時、周囲から想像以上に批判の声が届いていた。

「4番なのに好不調の波が激しすぎる」

「他の選手のほうが確実性がある」

 大谷についても二刀流の選手など、長いプロ野球の歴史のなかでも前例がない。それだけに「どちらかに絞ったほうがいい」という意見が多数派を占めた時期もあった。だが、橋上はこう言った。

「栗山さんがこれでいいと思ったら、それを貫けばいいんじゃないですか?」

 大谷についてはさらにこう付け加えた。

「誰もやったことがないことができるのは、栗山さんしかいませんよ」

 そう言うと、栗山は「そうか! ありがとう」と笑顔で返した。その後、2人を使い続けたのは周知の通りである。

WBC中国戦での大谷翔平 ©文藝春秋 撮影・鈴木七絵

「おそらく栗山さんの頭の中では、『4番・中田』と『二刀流・大谷』で行くことは決まっていたはずです。それを後押ししてもらいたいがために、あえて私に聞いたんじゃないかと思うんです」

 こうした我の通し方ができるのは、貫き通す信念があるからだと橋上は分析している。

 今、世間はWBCの話題一色で盛り上がりを見せている。橋上自身も13年の第3回WBCで戦略コーチとして侍ジャパンのサポートに回った。それだけに世界の未知なる戦いの難しさは嫌というほど経験している。

 そして時を経て東京オリンピックが終わった後の21年11月30日、栗山は侍ジャパンの監督に就任した。橋上は栗山のここから先の戦い方に期待していると話す。

栗山英樹監督 ©文藝春秋

「私が入団した83年のドラフトでは、日本ハムに1位で指名された白井一幸さんが今回の侍ジャパンのヘッドコーチ、近鉄に2位で指名された吉井理人が侍ジャパンの投手コーチとなっています。全員で栗山さんをサポートして、侍ジャパンの3度目の世界一を達成することを期待したいですね」

 6畳の和室でプロの世界のスタートを切った若者2人が、指導者として世界一を目指すサクセスストーリーの「この先の結末」に注目していきたい。