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口伝によって残った歴史
当時、境界線を決めた人たちは、全員亡くなっている。葛巻さんは先代の組合長から話を聞き、先代の組合長は先々代の組合長から聞いた話だという。こうした口伝がなければ、ロータリーの謎を解き明かすことは出来なかった。
しかし、考えてみれば、道路が造られたのは40年ほど前の話だ。当時は大安町だったが、2003年に町村合併によりいなべ市になった。その際、役場に残されていた資料は全て捨てられてしまった可能性が高いという。この道路については町村合併という事情が絡んでいるものの、今となってはルーツが分からない道路というのは、実は全国にたくさんあるのではないかと思っている。
道路というのは、人間がお金や労力を使って造るものなので、必ず理由がある。歳月が流れ、分からなくなってしまった道路の理由やルーツを調べている過程は、まるで謎解きをしているような楽しさがある。
最後に、調査にご協力いただいた丹生川中農事組合の葛巻さん、いなべ市役所の井川さん、山北さん、突然押しかけたにも関わらず快く話してくれた区長さんや商店主さん、そのほか話を聞いた多くの方々に心から感謝を申し上げたい。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。