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1週間後、改めて真相究明へと向かう

 前回の訪問から1週間後、私は再び三重県いなべ市を訪れた。もちろん、ロータリーの謎を解明するためだ。もう一度ロータリーを見ておきたくて訪れると、3つ目のロータリーでキャンプをしている人に出会った。

行き止まりとなっているロータリーでキャンプを楽しむ人に出会った

 一応聞いてみたが、やはり道路のことは分からないという。なぜここでキャンプをしているのか尋ねると、ただ山奥に行くだけの道なのに綺麗で走りやすく、めったに人が来ないから、たまにキャンプに来るのだと話してくれた。なるほど。謎の道を逆手にとって、きちんと有効活用している人もいるのだ。

 山を下りて向かったのは、丹生川中農事組合だ。到着すると、代表理事の葛巻武広さんのほか、もう一人の男性がいた。井川さんと同じいなべ市の職員で、都市整備部住宅課の山北克成さんだった。休日にも関わらず、駆けつけてくれたという。

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丹生川中農事組合代表理事の葛巻武広さん

 早速、ロータリーがある道路のことを聞いた。葛巻さんは、先代、先々代の組合長から伝え聞いた話として、順を追って話してくれた。

 そもそも、ロータリーがある山は、大事な里山だった。町の人たちが暮らす上で必要な柴や薪を調達していた。そのため、麓の町の4地区で、それぞれ山林を区分けして利用・管理していた。地区の境界線は「あの松の木からこの大きな石まで」というような決め方だった。

いなべ市都市整備部住宅課の山北克成さん

 1952年、山林を管理する4地区で話し合い、分かりにくかった境界線を直線に引き直した。1980年頃になって、国から地方に予算が下りてくる機会があり、何かやることがないかと考えていた。そこで、境界線をはっきりと明示するため、境界線上に道路を造ろうという話になったという。そう、あの道路は、里山の境界線を示すための道路だったのだ。

区割り地図(筆者作成)

 そして、最も知りたかったロータリーも同様の理由で、里山の境界を分かりやすく示すため、3箇所にロータリーを造ったという。そのため、道路の左右と、ロータリーの前後で山林を管理する地区が異なる。境界を示すのであれば、四角でも三角でもなく丸にしたほうが中心が分かりやすい。1つ目のロータリーの中央部に大きな木が1本生えていたのも、目印のためだ。