予算が余ったから造った……?
これまで道路としての機能ばかりに注目していたため、境界線というのは盲点だった。葛巻さんのお話を聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。急こう配なのに道路が直線だったのも、境界線と思えば理解できる。交通量が少ない森の中に存在するロータリーは、山林の利用・管理を行う境界線だったのだ。地名の境界でもなく、里山を利用する地区の境界だったので、いくら調べても分からなかった。
ついでに、1つ目のロータリーから分岐してすぐ行き止まりとなる道についても聞いてみた。すると……あの道はロータリーが出来た後、1991年頃に造った道だが、特に目的は無いという。強いて言えば、予算が余ったから造った、とのことだった。様々な理由で道路が造られている……。
念のため、この道が造られるきっかけとなった予算について調べてみた。葛巻さんは「特措法か何かだった」とおっしゃっていたので、おそらく1982年に施行された“地域改善対策特別措置法”ではないかと思われる。この特別措置法は1987年に終了しているが、ロータリーが造られた時期とも合致している。
葛巻さん、山北さんにお礼を言って別れた後、私はもう一度ロータリーに向かった。葛巻さんのお話を聞いて謎が解ける前と後では、同じ風景でも違って見える。それを確認したかったからだ。
道の南側には杉が植林されているのに対して、北側は広葉樹が点在している。道の左右で管理する地区が異なるため、利用の仕方も異なっているのだ。しかし、共通していることもあった。それは、きちんと草が刈られ、道が綺麗に整備されていることだ。今では里山として利用されることはほとんど無いが、それでも各地区が定期的に掃除したり、土砂を除けるなどして管理してくれている。
道路は3つ目のロータリーで終点となるが、この先も地区分けされている。先ほど聞いた話を元に周辺の林野を歩き、境界石と思われるものを発見した。葛巻さんの話を聞いていなければ、これが管理地区を隔てる境界を示しているなんて思いもしなかっただろう。
今回、たまたま知った森のロータリーについて調べた結果、境界線を示すために造られた道路であることが分かった。しかし、ほとんど記録が残っておらず、地域の人たちが作ったわずかな資料があるだけだった。