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ライオンズファンには高評価、それ以外には不評…WBC実況、なぜ“賛否両論”分かれたのか

文春野球コラム ペナントレース2023

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未来の実況は視聴者の心の声を「即興で言語化する」仕事となる

 さらに技術が発展していったとき、自分に合わない実況は不要どころか害悪である、実況をオフにできる機能が必須である、と言われるような未来も訪れるでしょう。「見ればわかる」映像と、「聞けば何でも答えてくれるAI」の存在は、すでに実況が話していることのほとんどを不要にしてしまいつつあります。じっと画面を見ていられないときでさえも、「映像の状況を説明してくれるAI」が助けてくれるようになるでしょう。技術面の解説だってAIがしてくれるようになるかもしれません。瞬時の映像解析によって「現在、大谷選手は通常より1cmバットを短く持っています」とか教えてくれたりして。そのとき「目の前の状況を伝える」だけの作業に人間を使う意味と、そのコストをかける価値が改めて問われることになるでしょう。「状況を伝えるだけならAIでいい」「むしろAIがいい」と。

 しかし、そんな未来においても、スポーツ中継には実況が必要だと僕は強く思うのです。機械に任せることができない役割が実況にはあるからです。実況が伝えているものは目の前の状況だけではありません。真に実況が伝えているものは「見る者の心の声」なのです。カメラが自分の肉眼では追い切れない範囲や距離をカバーする「目」であるように、実況は自分ひとりでは言語化できない感情を即興で言語化して伝えてくれる「声」なのです。自分で言語化すれば「ヤバイ!すごい!感動した!」にしかならない感情を、的確で美しい表現で即座に言語化しつづけてくれるのが実況という特別な存在なのです。

 世に言われる名実況というものは、その言語化が見事にハマったときのものなのでしょう。自分では咀嚼し切れない感情が、実況の言葉によってより的確に・より美しく・より深いところまで言語化され、自分の心の声となって響く。今まさに起きている出来事を見ながら、「そうか、自分はそういう風に感じているんだ」「まったくその通りだ」「これは自分の思いそのものだ」と思うような言葉が即興で添えられ、その場面の記憶や感動がより鮮明になる。そこにAIには任せられない、心の機微を読み取り、その機微を言葉に乗せる人間のチカラが求められるだろうと思うのです。

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未来の実況は、「見る者の心」をよく観察することが求められる

 僕が好きな実況に2015年ラグビー・ワールドカップ「日本VS南アフリカ戦」80分21秒のNHK豊原謙二郎アナウンサーによる、「日本、あくまで勝利を目指します!!」というものがあります。試合の状況は皆さんご存じと思いますので割愛しますが、この「あくまで」はAIには任せられない心の声でした。戦う前から「必敗」と評され、いかに上手に負けるかが議論の中心だった試合において、それでも勝利のために長く苦しい日々を捧げてきた選手たちが、「確実な引き分け」で妥協せず「不確かな勝利」を目指した断固たる決意の瞬間に、AIが「あくまで」と添えられる未来はまだまだ遥か未来でしょう。「勝利を目指します」ではなく「あくまで勝利を目指します」でなければ、本当の心の声ではないのです。「あくまで」だから心震わせ涙流したのであり、そう言語化できたのは実況の助けがあったからです。

 今回の「WBCのアマプラ実況」を踏まえて思うのは、未来の実況は「目の前の状況」以上に「見る者の心」をよく観察する必要があるのだろうということです。今回だってそうです。日本の多くの視聴者が「真の世界一決定戦」に厳かな畏敬の念を抱いていることに思い致していたなら。出場するすべての選手に対して「世界最高峰の選手たち」として強い敬意を抱いていることに思い致していたなら。ひとつのプレーやひとつの得点に大きな緊張と興奮を覚え、雑談をしたり軽口を叩くような気分ではないことに思い致していたなら。壮行試合の時点から普段とは違ったスタイルでの実況はあり得ただろうと思います。

 言うなれば劇場の空気を読む漫才師と同じようなことで、その日の空気によって同じことを言ってもウケたりスベったりするのが実況です。たとえば、いらんときに資料の情報を読み上げる実況は、大体スベりますよね。視聴者が気にした瞬間にサッと出すべき情報を、ほかのことに集中しているときに無闇にひけらかすから「資料読みの実況」は嫌われるのです。今じゃないよ、と。同じように居酒屋のような雑談や、状況を伝える言葉が多過ぎる実況も空気次第でスベるのです。視聴者が極度に試合に集中しているときなどは、特に。

「WBCのアマプラ実況」とは、序盤は空気を読めずに大いにスベり、終盤はようやく劇場の空気ともマッチして名実況を生んだ、そんな出来事だったのだろうと思います。そして、そんな危ういものだからこそ、ときに素晴らしい瞬間も生まれるように僕は思います。目の前の状況と自分の心と実況の言葉とが「ハマった」ときの喜びは、機械相手では生まれない、失敗の多い人間同士だからこその喜びなのです。そうだ、その通りだと共感し、ときに一緒に涙することができるのは人間同士だからです。これからも放送席から視聴者の心をしっかりと見つめ、僕の心の声を伝えてくれる中継に期待したいと思います。WBCのときは厳かに、文化放送ライオンズナイターのときはめちゃめちゃライオンズびいきに、その日によってコチラの気分も違いますのでね!

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